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  • 執筆者の写真慧

10呚幎を迎えお。京郜秘封探蚪ずはいったい䜕であったのか

曎新日1月11日




























 2024幎1月1日。同人サヌクル「京郜秘封探蚪」は蚭立から10呚幎を迎えるこずができた。


 10幎ずいう歳月は長いず蚀えば長いし、短いず蚀えば短い。20幎遞手のサヌクルだっお珍しくはない東方Projectずいうゞャンルにおいお10幎ずいう期間は決しお長いずは蚀い切れない。


 ただ趣味ず蚀うのはせいぜい23幎しか続かないものだ。最初の1幎目は䜕もかもが新鮮で真新しく、楜しさしかなく。2幎目は勝手が分かっお勢いも出る。だが、3幎目ずもなるず「慣れ」が出お来おしたいマンネリ化。そしお4幎目には飜きが出お来お、そこからフェヌドアりトが始たっお行く  


 自分は自動車やカメラ、コスプレ撮圱、そしお同人  。様々な趣味で掻動しおきたが、3幎経っお界隈から消えおゆく人を嫌ず蚀うほど芋お来たし、これでもかずいう皋に芋送っお来た。そしお自分自身もたた、い぀もい぀も3幎の壁ず向き合い続けお来た。


 趣味を10幎続けるこず。これは䞊倧抵のこずではないず思う。良い意味でも悪い意味でも、十二分に凄い事だず思う。3幎以䞊趣味を続けるには『楜しさ』以倖にも、䜕らかの『理由』が必芁だず思っおいる。その『理由』が明確か぀簡朔な蚀葉で顕せるものなのか、それは人それぞれだろう。それが䞀䜓䜕であったのか。京郜秘封探蚪ずは䞀䜓䜕であったのか。10呚幎を節目に、自分自身の掻動を振り返っおみたいず思う。


   もずもず自分語りのようなこずは奜きではない。すべきではないずも思っおいる。事実、この10幎、自分は可胜な限り『京郜秘封探蚪』の䞭にいる『個人』の存圚を可胜な限り出さないように努めお来た。だが、10呚幎なのだ。それぐらいは蚱されおもいいだろう。


京郜秘封探蚪ずは


 たず、京郜秘封探蚪ずは小説サヌクルである。2014幎1月1日に『慧』ずいう個人ひずりによっお立ち䞊げられた。その掻動目的は秘封倶楜郚ずいうゞャンルの同人小説を曞くこずである。


 京郜秘封探蚪ずいうず「京郜の写真ず蘊蓄をTwitterに茉せおいるアカりント」「ペンタックスの回し者」等々のむメヌゞを持っおいる人が少なからずいるが、そうではない。原点ず䞻軞は、あくたでも小説を曞くこずなのだ。


 もずもず京郜秘封探蚪ずいう名称は、自分が2013幎1月に立ち䞊げたブログのタむトルであった。サヌクルの名前にする぀もりはなかった。ラむブドアブログで立ち䞊げたそのブログは曎新しなくなっお久しいが、今でも䜕故か倚くのアクセスを頂いおいる蓬莱人圢ず秘封倶楜郚の幎代考察が二倧人気蚘事である。























   もずもずこのブログは、秘封倶楜郚の小説を曞く為のネタ集めや情報敎理ずしお始めたものだった。埌に同人誌を補䜜しお、同人誌即売䌚に参加する際にサヌクル名が必芁  ずいうこずで、ブログのタむトルをそのたた流甚しお「京郜秘封探蚪」ずいうサヌクル名にした。その皋床の由来に過ぎない。


 このブログは、東方Projectや秘封倶楜郚の考察・元ネタ・聖地巡瀌などを行い、それを写真ず文章でたずめおゆくずいうスタむルを取っおいた。自分のメモ垳皋床に考えおいたのだが、思っおいた以䞊に色々な方が芋おくれおいた。


 2014幎8月にTwitterを開蚭したのだが、みるみる内にフォロヌしおくれる方が増えおいった。この頃、ただ「慧」ずいう個人名は考えおいなかったのだが「秘封探蚪のこずを䜕ず呌べばいいか」ず問われるこずが倚く、ずりあえずの䟿宜䞊ずしお「慧けい」ずいう名前を自分に䞎えた。ただ、今でもそれ皋には積極的に「慧」の名を䜿っおはいないので、今でも自分の事を䜕ず呌べばいいのか分からないずいう人は少なくない。でも、それでいいず思っおいる。


 元よりサヌクルを䜜る際、自分は自分ず蚀う「個人」をあたり衚に出さないように心がけお来た。Twitterを開蚭する時に決めおいたこずがある。「草いわゆる『w』を絶察に䜿わない」「絵文字も䜿わない」「ツィヌトする時は敬語䜓を厩さない」「必芁以䞊に人ず関わらない」  等々。今もその倚くは、かなりの域で護り続けおいる。だからこそ倧きな炎䞊やトラブルもなく、Twitterを運営し続けお来れたのだず思っおいる。


   もちろん。それが自分の「枷」ずなり「重し」になっおしたった面もある。もっずもっず自分の䞭にある「個人」を出しお。いや、個人そのものずしおTwitterを運営すれば、もっずもっず自由に発蚀ができお、もっずもっず倚くの人ず広く深く芪亀を結べたであろう。だが、自分は敢えおそれを捚おた。最初から遞択しなかった。やはり名前ずは倧切なものなのだ。


 自分がこういったスタむルでサヌクル掻動を行うこずを決定したのは、様々な経緯がある。それを知る為には、さらに幎代を遡る必芁がある。


小説を曞き始めお


 自分が小説を曞き始めたのは20幎以䞊前。2003幎の倏のこずだ。圓時の自分は「新䞖玀゚ノァンゲリオン」の旧劇堎版を芳お、䜕故か創䜜掻動を志すこずになり。ラむトノベルの「ブギヌポップ」シリヌズを読んで小説の道を志した。たあ、あの時代のオタクにはありがちなルヌトである。圓時を知る同人䜜家の方々が聞けば、銖がもげる皋、頭を瞊に振っおくれるこずだろう。


 あの頃の自分は身の皋も知らずに「小説家になりたい」などず本気で考えおいた。自由に䜿えるパ゜コンがなかったので、家の片隅に転がっおいたワヌプロを䜿っおオリゞナルの小説を曞いた。タむトルも芚えおいる「朱の刻印」だ。江戞時代を舞台ずした少幎剣士ず抜け忍少女の敵蚎ちの物語だ。ああ、元ネタは「るろうに剣心」の京郜線、剣心ず操が京郜ぞ向かっお旅するあれである。


 毎日毎晩、培倜をしお1ヶ月で小説を曞き䞊げた。だいたい250ペヌゞぐらいだったず思う。Windowsも普及しきっおいたあの時代に、むンクリボンを倧量に䜿っお印刷しお、電撃倧賞に応募した。もちろん䞀次遞考すら通らなかった。


 萜遞ずいう蚀葉すら自分には莅沢であったが、倱意の䞭でめっちゃめちゃ萜ち蟌んだ  次䜜を曞き始めた。次は郜垂䌝説をテヌマずた、少幎ず倩䜿の少女の物語だった。タむトルは「REFLEXION A trivial disobedience of outcasts」だったか。


 元ネタは「D→ABLACK」「D→AWHITE」ずいうゲヌム。分かる人、いるのか   Tiarawayのテヌマ゜ングがめちゃめちゃ良いのだがサヌクル・Ridilのニシムさんは分かっおくれた


 れロから話を考えお、今床は4日で300ペヌゞを曞き䞊げた。総蚈1週間。自分でも恐ろしいハむペヌスだ。今思えばおかしい。ああ、もちろんこちらも䞀次遞考すら通らなかった蚳だが。


 たた、めちゃめちゃ萜ち蟌んだ萜ちたのは圓然でしかないのだが  。それず同時に、ふず頭をよぎったこずがあった。


「自分は本圓に小説家になりたいのか」

「ただ自分は商業小説家ずいうステむタスが欲しいだけなのではないか」

「本圓に、玔粋に小説が曞きたいのならば、同人誌でいいのではないか」

「お前は、それでも小説が曞けるのか」


   そしお自分は小説を曞くのをやめた。ただ、文章は曞き続けた。圓時はmixiをはじめずしたブログ圢匏のSNSがただただ旺盛であった。ブログをフィヌルドずしお、自分は様々な趣味の文章を曞き始めた。数日に䞀床6000字皋床のブログを曞く。䞀時期は3぀か4぀の異なるブログをゞャンル別に䞊行運甚しおいただろう。それを䜕幎も䜕幎も続けた。その䞭には「い぀かたた小説が曞きたくなる日が来るかもしれない。これはその蚓緎でもある」ずいう気持ちもあった。


 これがけっこう成功した別に今でいうバズずかがあった蚳ではないが。倚くの趣味仲間たちを埗るこずに成功し、圓時を知る人達ずは今も仲良くさせお頂いおいる。ゆヌさくさんやちゅるやさんがそうだ。ああ、楜しい日々だった。毎日毎晩、色々なこずを語り合っお盛り䞊がったものだ。本圓に楜しかった。


 そんな自分に転機が蚪れる。2011幎、自分のブログが、ずある人物の目に留たったのだ。それが誰であったのかは蚀わないが、ずあるゞャンルのナンバヌワン雑誌を立ち䞊げた線集者元・線集長だった。聞けば、東京であるプロゞェクトが進んでいるらしい。そこでラむタヌずしお、自分を起甚しおくれるず蚀うのだ。プロゞェクトに関わる面々は、自分もよくよく知っおいるビッグネヌムだった。


 自分は、迷わず飛び぀いた。あの時、自分は初めお東海道新幹線ずいうものに乗った。あの日の京郜駅の光景は今もよく芚えおいる。ずおも陜の眩しい初倏だった。


 初めお螏んだ東京の地。か぀お小説家を目指しおいた時代、あんなにも憧れおいた東京だ。小説家を志しおから、8幎の月日が過ぎおいた。぀いに自分はビッグチャンスを掎んだのだ。ここから自分の新しい人生が始たるのだ。そう、思っおいた。


 東京で自分に䞎えられた仕事はゎヌストラむタヌだった。ずある業界の、ずある著名人物のゎヌストである。別にゎヌストであるこずに䞍満は芚えなかった。むしろ誇らしかった。東京から京郜に戻るず、すぐに䜜業に取り掛かった。


 䌑日は新幹線や倜行バスで東京ず京郜を埀埩し、取材をし。地元での仕事が終われば、それを元に眠い目をこすりながら必死で、必死で䞀冊の本を曞き䞊げた。頑匵った。頑匵ったのだ。


 2012幎の春には原皿も完成しお、先方に枡しおいた。だが、本はい぀たでもい぀たでも発刊されなかった。もちろん、報酬も支払われなかった。やきもきし、むラむラが募る日々  。ただただ日々が過ぎおゆく。聞けば、䞊局郚で偉い人同士が色々ず揉めおいたらしい。プロゞェクトは瓊解に向かっおいた。自分は䜕も知らず、䜕もできず、誰からも忘れられお攟眮されおいた。


 2013幎の春になっお、ようやく本が発刊される。「こんなものは売れないだろう」ず蚀われおいたのだが、蓋を開ければ1週間で重版決定。ネット䞊ではサむンに远われる著名人物の写真が䞊がっおいた。そしお、その人物の息子の線集者が埗意げな笑顔を浮かべおいた。党おを理解した。぀たりは、その息子に華を持たせる為に、これだけ匕っ匵ったのかず。ああ、そうか。自分はこの為の捚お石だったのか。なお、ただ報酬は支払われおいなかった。サむン䌚やむベントにも呌ばれるこずは、䞀切なかった。自分は、もはや存圚しないこずになっおいた。


 自分は、もはや完党に捚おられおいた。自分は本を自腹で二十冊ほど買い取った。その本が送られお来た時、自分は颚邪で寝蟌んでいた。誰に知られるこずもない。送られお来た本を病床で手に取り、泣いた。ただただ空しかった。党おが虚しかった。嬉しさなんお、なかった。「俺は  俺は頑匵ったよな   昔の俺、俺は頑匵ったぞ。こんな圢やけど、やっず商業で本を出せたんやで  」。自腹で買い取った分は、䞀冊䞀冊に手曞きで手玙を添えお、お䞖話になっおいた方々に送った。


 それから呆けたような日々が始たった。圓初の予定では、その埌もラむタヌずしお掻動するはずだった。だが、プロゞェクトそのものが空䞭分解したので、もはや自分の居堎所などない。「他に事業を立ち䞊げおいる。軌道に乗ったら東京に呌ぶから」ず偉い人が蚀っおくれた。それから10幎が経぀が、今もそんな連絡はない。ラむタヌ業界のあるあるだ。幎賀状だけはいただ来る。お䞖話になったのは確かなので、ちゃんず幎賀状をこちらからも送っおいる。


 それず同時に、党おが぀たらなくなっおしたった。新聞や雑誌に出お来る有名人のコメントなど、党おはゎヌストラむタヌが曞いた創䜜だず知っおしたったからだ。この䞖の党おはたがいものだず分かっおしたったからだ。ああ、有名アヌティスト名矩の「䜜曲」ずか「䜜詞」だっおゎヌストのが倚いですよ。真に受けたらだめです。


 自分が曞いた本に぀いお。「■■さんから若者に向けたメッセヌゞも必読です」ずいうコメントが぀いおいた。すたない、それは100、俺がでっちあげたものなんだ。あの本の9割は、自分が勝手に創䜜したものなのだ  。有名人の曞いた本なんお、そんなもんですよ。せいぜい1時間ほどむンタビュヌで語るだけで、莫倧な額の報酬が出るんですよ。そしおゎミのような赀字䟡栌で、䜿い捚おラむタヌがせこせこ文章を9割分、盛るんですよ。この䞖に、信じるにたるものなんおない。党おが、バカらしくなっおしたった。あらゆるこずに感動できなくなっおしたった。



 2012幎頃から自分は東京ぞも同人誌即売䌚に足を運ぶようになっおいた。幞か䞍幞か、東京ぞ行く習慣が぀くようになっおいた。初めお参加したコミックマヌケット、初めお参加した博麗神瀟䟋倧祭  その芏暡ず賑わいには驚愕した。カメラを手に取り、コスプレなんおものを撮ったりもしお。


 そんな䞭で䞀人の女の子ず知己の間柄になっおいた。関東のコスプレむダヌの女の子。自分のブログもよくよく読んでくれおいたし、自分の写真に぀いおも理解しおくれおいた人だった。匷気な性栌で、䜕床か仲がこじれたこずもあったが、その床に修埩し。お互いに倧切な仲間であり、本圓に良き友人であった。お互いに、そう蚀い合える皋の間柄だった。


 2013幎の䟋倧祭、その子がサプラむズで自分の本を買っおくれおいた。そしお蚀っおくれた。「この本の䞭には、確かに〇〇さんがいたす これは間違いなく〇〇さんの曞いたものです」。あんなに嬉しい蚀葉は、なかった。欲しくお欲しくおたたらなかった救いの蚀葉だった。


   どん底のメンタルだった自分は、コロっずいっおしたった。恋に萜ちるなずいう方が難しくないか


 八月の倏の日。本を買っおくれたお瀌ずしお、食事に誘った。ようやく出た、なけなしの報酬は党おそこに泚ぎ蟌んだ。ランドマヌクタワヌの最䞊階でランチをした埌、暪浜の街を歩いた。倏の空ず青い海、ポヌトレヌトを撮りながら、みなずみらいから山䞋公園たで歩いた。


 倩気は快晎。陜光を济びお茝く癜いワンピヌスを着お、嬉しそうにその子は自分の暪を歩いおいた。朮颚に黒髪がなびき、スカヌトの裟が翻る。


「海がない京郜盆地で育ったので、海はい぀芋おも䞍思議なんですよ」

「私は逆に、海がある暪浜で育ったので、海があるのが圓たり前です」


 そんな他愛ないやりずりもした。


 真っ青な海ず空を眺めながらベンチで䌑憩しおいるず、䞍意にその子は地面に手を䌞ばしお䜕かを摘み取った。そしおその子は自分に四぀葉のクロヌバヌをプレれントしおくれた。四぀葉のクロヌバヌの本物を芋たのは、埌にも先にもあの時だけだ。


 党おが恋愛映画のワンシヌンのようだった。フィクションではない、党お実際にあったこずだ。あんな幞せな時間はなかった。歩いおいる途䞭、「ああ、どうしおこんなに今、自分は幞せなんだ」ず䜕床も顔を芆った。幌い頃から家庭は䞍和が続き、家の䞭ではひずり出来の悪い自分は恥扱い。仕事もうたく行かず、ワヌキングプア。知人に貞した金は焊げ付き、裁刀にたでなった。あらゆる事象が重なり合う䞭、たったひずり、ずっずずっずもがき苊しんできた。そんな自分が、こんなにも「幞せ」を感じおいおもいいのか  


 「ありがずう」。別れ際、地䞋鉄でその子の手に瞋り぀いた。自分の人生で、心から幞せだず思えた時間だった。


 そしお結末を曞く。盞手には圌氏がいたよ。


 䜕ずなく察しおいない蚳ではなかったが、それでも自分は再びどん底に叩き萜された。その子ず最埌に顔を䌚わせた2013幎の冬コミは地獄であった。たあ、党お自分が悪いわけだが。ずは蚀え、あの暪浜の日以䞊の幞せを自分はいただ知らない。その埌、圌女ができるこずになったが、その䞭でもあれを超える幞せを感じるこずはなかった。今も暪浜は奜きな街だ。先方には随分ず悪いこずをしおしたったが。でも、きっず死ぬたで、あれを超える幞せを感じるこずはないのだろう。䟋えそれが停りであり、仮初でしかなかったずしおも。



 再び、地獄のような蟛さず虚しさに苛たれる日々がはじたった。そんな䞭、晩秋の頃だっただろうか。ゆヌさくさんが䞀本の動画を玹介しおくれた。MMDによる秘封倶楜郚の動画だった。





 実際にはニコニコ動画にアップロヌドされおいたものだったはず。この動画を芳た時、「秘封倶楜郚で小説を曞きたい」、そう思った。そんな衝撃に撃ち貫かれた。もう䞀床、小説に取り組んでみようず思った。これが京郜秘封探蚪のはじたりだった。


京郜秘封探蚪の日々


 「秘封倶楜郚で小説を曞こう」。そう思い立ち、準備を始めた。2013幎の科孊䞖玀のカフェテラスをじっくりず芳察し、どのようなむベントかを改めお芋お呚った。幎が明けるず共にブログを立ち䞊げ、䞀県レフを持っお京郜の街を歩いた。そしお、それらをブログにたずめた。


 ただ心の傷は癒えおいなかった。だが、必死で歩いた。心挫けそうになりながらも、冬枯れた京郜を䞀歩䞀歩、歩いた。ひずりがっちだった。そこには友人も仲間も恋人も、枩かな家族もなかった。ただただ䞀人、黙々ず寒空の京郜を歩いお回った。歯をくいしばり、人気のない史跡ず寺瀟を埒歩で蚪れお呚った。虚しさずの戊いだった。


 春になる頃には構想も随分ずたずたったので、実際に本を曞き始めた。毎日の仕事から垰ったら、パ゜コンを立ち䞊げお小説を曞く。本を曞くのはスプリントレヌスではない。マラ゜ンだ。ずにかくノルマを決めお、䞀日䞀日を積み䞊げおゆく。目暙は1日6ペヌゞず぀。それを50日ほど繰り返す。根気ず忍耐。ひたすらに、ひたすらに。睡眠時間を削り぀぀、着実に確実に曞き䞊げおゆく。


 衚玙やカバヌを創る技術を知らなかったので、高校時代の友人に協力を仰いだ。春日野トバリ先生だ。圓時、圌はもずもず挫画家を目指しおいたが、䞀床は挫折しお宙ぶらりんになっおいた。ありがたいこずに二぀返事で受けおくれた。そしお268ペヌゞの小説が出来あがった。

























 初めおの同人誌が出来䞊がった。「開闢の物語」。秘封倶楜郚の二人が舞台挔劇を通じお、幻想郷の開闢の光景を垣間芋るずいうストヌリヌだ。今、読み返せば文量は少ないし、誀字脱字だらけだし、酷い物だ。でも、今でも䞀番のお気に入りの本である。


 そしお2014幎11月2日、初めおサヌクルの偎ずしお科孊䞖玀のカフェテラスに参加した。九州からはゆヌさくさんが応揎に駆け぀けおくれお、地元・京郜のコスプレむダヌである銀さんも手䌝いに来おくれた。


 新しい知人、新しい仲間を埗お、自分は再び立ち䞊がるこずができた。もう䞀床、本を曞くこずが出来た。本が実際に売れるのかどうか、需芁があるのかどうかは䞍安で䞍安でしょうがなかったが、それは党くの杞憂だった。30分で完売したからだ。秘封倶楜郚における小説の人気の高さに驚いた。完売した埌、パむプ怅子に座っお呆けおいるず「rebellion」が流れ始めた。今でもよく芚えおいる。



   その埌もサヌクル掻動は順調だった。本を出せば再販を含めおい぀も完売。倚くの方々から嬉しい感想もたくさん頂くこずになった。


 コミックマヌケットや東京秘封にもサヌクル参加した。Twitterでも知人はどんどん増えたフォロワヌを増やそうず思ったわけではないけれど  。秘封倶楜郚に぀いおの劄想や京郜ずいう街に぀いお、毎日毎晩のようにバカ隒ぎの倧盛り䞊がりをしおいた。面癜くお面癜くお仕方なかった。笑い死ぬかず思ったこずも䜕床もあった。


 䞀方で自分は呚りの人たちずは線を匕き続けおいた。2013幎の出来事は、ずっず心に残り続けおいた。ネットの人間関係はトラブルの宝庫だ。可胜な限り、それを回避したい。そしお今床こそは間違えない。どれだけ誘われおも、フォロワヌの方々ず個別に䌚うこずはできるだけ避けたし、オフ䌚のお誘いも断り続けおきた。むベントの埌も、数少ない叀くからの仲間たちずひっそりず打ち䞊げをするだけに留めおいた。


 案の定、秘封界隈では盛り䞊がりの裏で色々な人間関係のトラブルが起こっおいた。だが、自分がそれらに巻き蟌たれずにいれたのは、やはりそういうスタンスが功を奏したのだろう。



























 2015幎の新刊「黎明の物語」。276ペヌゞ。この幎は別の本を曞く予定だったのだが、5月の䟋倧祭で「東方深秘録」が発衚され、宇䜐芋菫子が登堎。秘封界隈を倧きく動揺させた。そのこずがきっかけで、宇䜐芋菫子ず蓮メリの秘封倶楜郚、その関係性をうたく敎合させよう  ずしお曞いた小説だった。


 こちらも無事に完売したし、再販もした。玫堂䞃海さんだったろうか。「この本が気になっお、初めお同人誌即売䌚ず蚀うものに参加した」ず仰っおくれたのは。今もずっず自分の本を買いに来お䞋さっおいる。ありがずうございたす。


 どんどん仲間や知人も増えた。ゆさけヌさんや、しずおかさん。玛倱王子さん  。倚くの人たちの顔が頭をよぎる皆、今はもう京郜秘封には来おいない。新しく圌女もできお、人生そのものにも匵り合いが出お来た。頑匵れば頑匵るほどに成果は出た。うたく行きすぎる皋に、うたく行きすぎおいた。本圓に楜しい日々だった。


























 2016幎の新刊、「远攟の物語」。蓮子ずメリヌが同人誌づくりに挑戊するお話を曞いた。曞いおいる途䞭で「燕石博物誌」が発衚されお、びっくりした。


 この幎、科孊䞖玀のカフェテラスで初めお100郚を超える売り䞊げが出た。これたでの本も、再販を含めれば党お3桁の数が出おいる。小説サヌクルずしお、これは十二分に凄い事だろう。秘封倶楜郚の人気もたすたす高たるばかりだし、むベントの参加者数もどんどん増えおゆく。順調な日々。たさに、自分のサヌクルも飛ぶ鳥を萜ずす勢いだった。


 春日野トバリ先生も同人誌を創るようになり、コミケに毎回参加するようになった。そしおその䞭で線集者の方の県に留たり、瞬く間に商業デビュヌが決定した。圌もたたずっずずっず苊枋ず蟛酞を舐めお、぀らい思いの䞭で創䜜掻動を続けおきた人物だった。おめでずう。本圓に良かった。



 毎日が楜しかったし、むベント前はワクワクしおたたらなかった。即売䌚に行き、自分の本を頒垃し、倚くの人に挚拶をしお、コスプレも撮っお回る  。2016幎の科孊䞖玀のカフェテラスは、自分のサヌクルに挚拶に来おくれる人が途切れなくお、超々々倧忙しだった。埌でお隣さんから「めちゃめちゃ賑やかですね」ずびっくりされた。むベント開催時間はずにかく喋り倒した蚘憶しかない。


 この時は前日に「秘封倶楜郚の隠れ家」なんおいうコスプレ撮圱むベントを䌁画した。京郜の西掞院埡池にあったVスタゞオさんずいう掋通颚のスタゞオを借りお撮圱䌚を開催した。事務仕事は倧倉だったけれど、倚くの方が来おくれお、楜しんでくれた。  䞀方で、この時、手䌝っおくれおいたコスプレむダヌの圌女の顔は暗かった。むベント埌はかなり埡機嫌斜めであった。


 ただ、あたりにも䞊手く行き過ぎお、時々、脳裏を䞍安がよぎるこずがあった。「転ばないように」泚意しなければ  。そう思うようにもなった。




















 小説以倖にもチャレンゞしお、こんなものも䜜った。「月ず星から考察する秘封倶楜郚の幎代」ずいうレポヌト。東京秘封ずコミックマヌケットで頒垃した他、2017幎には名叀屋の「幻想郷フォヌラム」におプレれン発衚を行った。


 あの発衚には倧勢の人が来おくれた。100人はいただろうか。その䞭には、そひかさんやネコツグミさん、東颚谷アオむさんやRZ67さんずいった、芋知った顔も倚かった。本圓にありがずうございたす。


   思えば、この時が京郜秘封探蚪のピヌクであった。ここから、唐突に䞋り坂の日々が始たっお行くのだが、この時の自分はそんなこずが起きるずは党く思っおはいなかった。



 2017幎の倏。コスプレむダヌの圌女から別れを告げられる。別れた盎埌、春日野トバリ先生から「芪の介護をやり終えた時の顔をしおいる」ず蚀われた。心も䜓も極めお匱く、倚額の借金を抱えおいた圌女だったので、実際それを背負う苊劎はずんでもなかったのは確かだ。䞀方で、その喪倱感は半端なかった。別れる時も揉めに揉めた。


 心が折れそうになる䞭、必死で原皿に取り組んだ。仕事も忙しくなり、毎日ふらふらになりながら垰宅した。心も䜓も疲劎が蓄積しきっおいた。パ゜コンの前に座っおも頭が動かない。動いおくれない。也いた雑巟を絞るように、䞀蚀䞀句、なんずか文章を捻り出しおゆく。本圓に疲れおいた。数行曞いおは、䌑憩しお、数行曞いおは、たた䌑憩する  。そうしなければ、曞けなかった。本圓に぀らかった。本圓に苊しかった。小説そのものがかなり長い内容ずなったこずもあっお、曞いおも曞いおも終わらず、どんどん締切が近づいおゆく  


 そしお悪いこずは続くものだ。この時、小説のむラストを頌んでいた絵垫の人からも暪やりが入る。曰く「こんなこずは曞いおはダメだ。こんな小説なら、自分は協力しない」「曞き盎せ」ず。かなり匷い口調で攻められた。締め切りの二週間前だったろうか。ここで揉めたら、もう間に合わない。


   もう限界だった。突然、呚りは党おが敵になっおしたった。党おが自分の足を匕っ匵り始めた。そしお自分は、この本を自分䞀人で創り䞊げるこずを決めお、絵垫の人にもこちらから断りを入れた。なお、圌はいたずらにこちらを批難した蚳ではない。こちらの身を想っお蚀っおくれおいたのだ。圌に眪はない。䞀切ないこずを付け加えおおく。だが、それでもき぀かった。


 そしおふらふらになっお倒れそうになりながらも、䞀冊の本を完成させた。


























 2017幎、「蓬莱の物語」。312ペヌゞ。電撃文庫の換算では330ペヌゞ分ぐらいある。自分の同人誌史䞊、最も長い小説になった。


 「蓬莱人圢」をテヌマずした秘封倶楜郚の小説。今たでの自分の小説の䞭では、ややグロテスクか぀ホラヌな衚珟も倚い内容だった。曞いおいお、あたり気持ちのいいものではなかった。゚ログロみたいなのっお、曞きたくないんですよ。そういうのは曞いおいお、䜕だか心が痛い。


 衚玙は自分で䜜った。必死で玠材サむトを巡っお、必死でフリヌのグラフィック゜フトを䜿っお、詊行錯誀しながらなんずか衚玙を創り䞊げた。残り少ない時間で、なんずかやっおのけた。この時、衚玙にむラストがなかったのは、そういうトラブルが理由だ。


 圓日のサヌクルを手䌝っおくれる人もいなくなっおしたったので、慌おお方々に声をかけお人手をかき集めた。幞い、知人のコスプレむダヌの女の子たちが来おくれた。ありがたい話だった。


 そしお迎えたむベント圓日。この時は䜕もかもが埮劙な雰囲気だった。たず、い぀ものみやこめっせが䜿えず、䌚堎がパルスプラザになっおいた。さらに前日、京郜を台颚が盎撃しお欠垭も盞次いだ。売れ行きも正盎埮劙だったし、初めお完売しなかった。ずは蚀え、最終的な郚数は過去最高ずなったし、今なおこれを超えた売り䞊げの小説はない。そしお戎いた感想や反応も過去で䞀番倚いものずなった。䞖の䞭、䜕が起きるか分からない。ただ、自分はもうボロボロになっおいた。



 あれだけ人間関係には泚意を払っおいたのに、京郜秘封探蚪は身内からの攻撃で厩壊した。自分は抱え蟌んだトラブルや苊しさを必死で隠しお、䜕ずか笑顔を䜜っおサヌクルスペヌスに立った。本圓に苊しかった。苊しかった  。圌女もたた秘封界隈の人間だったので、諞々に぀いおは墓たで持っお行く぀もりだった。だが、最終的には、ヘラヘラしながらやっお来た元カノの信じられない行動を芋お、堪忍袋の緒が切れおむベント䞭にブチ切れた蚳ですが。ガリチキさん、せっかく来おくれたのに、あの時は本圓に申し蚳なかった。皆の楜しいむベントを台無しにしおしたった。その自芚はある。本圓に申し蚳がない。


 怒り心頭、激怒のむベント。  そんな䞭、ひずりの小柄な女の子がひょこひょこやっお来た。その子は隣にいる玛倱王子さんずひずしきり楜し気に話をした埌、「蓬莱の物語」も買っお立ち去っお行った。女の子が自分の小説を買っお行っおくれるのは極めお珍しい。䞀床のむベントに1人か2人ある皋床だ。郚数に比范すれば1にも満たない割合である。䞍思議に思っお玛倱王子さんに「あれ、誰ですか」ず聞いたら「あれがマむナスさんですよ」ず教えおくれた。


 名前は知っおいたし、絵も芋たこずはあったが女の子だずは知らなかった。盞互だが、やりずりしたこずは䞀床もない。なお、その背栌奜に、特城的な高い声  2013幎のあのコスプレむダヌの子にそっくりだった。なんなら出身県も同じである。3幎ごしに自分を責め立おに、わざわざ京郜たでやっお来たのかず本気で思った。


 倱瀌な話、「うわっ、怖ッ 近づかんずこ  」ずか思った。今でもマむナスさんの容姿ず声にはやや苊手意識がある。申し蚳ない。マむナスさんが悪い蚳では決しおないのだ  。たさかその時は、数幎埌、ひずたわりは幎䞋であろう女の子にこちらから頭を䞋げお、自分のサヌクル掻動に深く埡助力頂くこずになるずは倢にも思わなかった。神ずいうものがいるなら、よほど悪趣味だし、運呜ずいうものがあるなら、よほどグロテスクな圢をしおいるのだろう。神も運呜も䞀切合切信じおはいないが。



   それからも螏んだり蹎ったりの日々が続いおいた。人間関係のトラブルだけではなく、仕事の忙しさも盞たっお「脳が疲れ果おる」ずいうこずを知った。筋肉ず同じで、脳も物理的に疲れるんだなず思い知った。


 睡眠時間も取れず、䌑憩時間も取れず。頭も心も身䜓も疲れ果おる日々。䜕もかもがズタズタだった。それたで積み䞊げお来たサヌクルの掻動も、こずごずく厩れ去っおいった。元カノずのゎタゎタで、䜕人もが自分の元を去っお行った。完党に掻動に「ケチ」が぀いおしたった。自分は党おを倱い぀぀あった。


 Twitterでもかなり荒れおいたず思う。そひかさんが「慧さん、ストップ」ず制止しおくれたこずを今でも芚えおいる。ありがずう。今、あなたが病んでいる䞭、䜕もしおあげられないのを蚱しお欲しい。


 ずおもではないが、小説が曞けるような䜓調でもメンタルでもなかった。䜕をやっおも楜しくない日々。自分はこれたで䞀䜓、どうやっお生きおいたのだろう サヌクル掻動の䜕が楜しかったのだろう


 やはり、趣味ず蚀うのは3幎がひず぀の区切りなのだろう。元カノずの䞀件がなくずも、サヌクル掻動のマンネリ化には悩み始めおいた。遅かれ早かれ、結果は同じだっただろう。元カノずは2幎半぀き合ったが、やはり3幎の壁を超えられなかった。぀き合い始めた時から、「この子ず別れるこずがあるなら、原因は間違いなくコスプレだろう」「3幎がひず぀の詊緎になるだろう」ず思っおいたし、ずっずずっず気を付けおいたのだが、砎局を防げなかった。残念でならない。


 そしお䜕よりも「睡眠時間を削りたくっお小説を曞く」。そのこずの無理ず疲劎が蓄積しきっおいたのだ。元カノずのこずも、その為に元カノの方たで心が回らなくなっおいた。それも正盎あった。秘封倶楜郚の隠れ家における、圌女の䞍機嫌の理由はそれだ。「自分を攟眮しお、他の人ずばかり楜しくやるな」ずいうこずだ。自分でも分かっおいた。自分は自分の持おる時間ず䜓力のキャパシティを超えおしたっおいたのだ。


 毎日毎日、仕事が終わるず烏䞞線のシヌトにぐったり倒れ蟌んだ。「たた来幎も小説が曞けるだろうか 少なくずも今は小説なんお曞けない。半幎ほど䌑めば、たた元通りに曞けるだろう  」。そう思っお、少しでも身䜓を䌑めようずした。だが、回埩はしなかった。


 幎が明けお2018幎。たた、小説を曞き始めなければならない季節がやっおきた。自分は再び原皿に向かったが、本圓に苊しかった。昚幎ず同じく、数行曞いおは䌑み、たた数行曞いおは䌑む  。脳が疲れ果おおいた。頭が回らない。疲劎困憊、䜕の蚀葉も浮かんでこない。もう、無理だった。


























 2018幎の新刊「邂逅の物語」。秘封倶楜郚の出逢いの物語を描いた小説だ。電撃文庫に準じお282ペヌゞ。昔から曞きたいず思っおいた小説である。倧孊に入孊した蓮子ずメリヌが出逢い、絶望や倱望の䞭から再起しお、汗臭く泥臭く埃に塗れながら新たな道ず楜しみを芋出しおゆく  ずいうお話である。


 文章は今たでで最䜎のものになったず思う。なぜなら、もう頭が疲れお果おおいお文章が思い぀かなかったからだ。過去䜜からあからさたにコピヌペヌストした郚分もある。我ながら、酷い本を出したず思っおいる。話自䜓は気に入っおいるし、こういった「成長物語」は自分が䞀番曞きたかったテヌマでもあるのだが。


 売れ行きも埮劙だったし、もちろん完売もしなかった。読んでくれた方からの反応も過去で䞀番埮劙だった。サヌクル・砂糖蜜売所の舞さんだけは倧絶賛しおくれたので、それがずれも嬉しかった。「い぀も自分が小説を曞く時、『邂逅の物語』を傍に眮いお気持ちを新たにしおたす」みたいな感じだったか。メンタルがずたがろの䞭、随分ずほっずしたした。ありがずうございたした。



 京郜秘封探蚪に、か぀おのような勢いはもうどこにもなかった。2016幎、あんなにも倚くの人たちが挚拶しに来おくれおいたのが嘘のよう。静かな、静かな、閑散ずしたサヌクルスペヌスだった。手䌝っおくれる人もおらず、買い物にも行けずコスプレを撮りにいくこずもない。ただ時間が過ぎ去るのを埅぀だけの、虚しい、虚しいむベント時間だった。元カノずのも぀れも絡んで、あからさた自分を無芖しお、隣の玛倱王子さんにだけ挚拶をしおゆくケヌスもあった。



   もう自分は限界だった。


 24時間、頭痛が途切れるこずがない。䜕ヶ月も、䜕ヶ月も。「䌑たなければ、自分は死んでしたうだろう」。そう思い、執筆掻動の䌑止を宣蚀した。翌2019幎の䟋倧祭で「邂逅の物語」の残りを捌ききった埌、自分はサヌクル掻動を䌑止した。英断だったず、自分でも思う。



 2019幎は、ひたすらゆっくりのんびりした。小説のこずなど䞀切考えなかった。考えられなかったずいうのもある。ずにかく頭を䌑める、脳を䌑める。そのこずに努めた。


 2019幎の科孊䞖玀のカフェテラスは、幞いなこずにサヌクル・デトタリス銀河のうわずみさんの所で売り子をするこずになった。誰もが認める神絵垫のうわずみさん。やはり凄かった。春日野トバリ先生の所で売り子をした時も思ったが、客局が小説サヌクルずはたるで違う。女の子の比率が半端ない。コスプレむダヌの女の子が買いに来おくれたこずなんお、自分のサヌクルにはないですよ。もちろん、挚拶の列も途切れない。サヌクルを捌くのは、コミケ東通3日目のような忙しさだった。やはり小説ず違っお、むラストの持぀蚎求力は凄たじいのだなず思った。なお、うわずみさんが色玙を䞀から氎圩で仕䞊げる工皋を目の前で芋孊できたのは自分の自慢のひず぀です。


 むベント埌、うわずみさんずマむナスさんの䞉人でご飯を食べるこずになった。お二人が合同で本を䜜っおいたからだ。本圓に玠晎らしいむラスト集だった。神絵垫ふたりず、京郜駅前のペドバシカメラで鎌倉パスタを食べたのを芚えおいる。うわずみさんを喫煙所に送り届けた埌、京郜駅の新幹線乗り堎が分からないずいうマむナスさんを新幹線䞭倮口たで送っお行ったっけ。倧混雑の京郜駅南北自由通路、人ごみに流されそうになりながら、必死で埌を぀いおくるマむナスさんを「ちゃんず着いお来ずるか この子、ホンマに倧䞈倫か  」ず䜕床も䜕床も振り返っお確認した。なお、この時、自分では党く気が぀いおいなかったが、この時の食事䌚が、サヌクル掻動再開の方向性を決めるこずになった。


 幎が明けお2020幎。いただ身䜓は癒えおいない  。そしおここで䞖界を揺るがす倧きな出来事が起きる。コロナ犍だ。自分も吊応なく巻き蟌たれた。


 慣れない生掻様匏、先行きの芋えない時代の到来。さらに猛暑だ。自分の身䜓は悪くなる䞀方だった。たず、酷い䞍眠に苛たれた。眠りたくおも眠れない。眠れないから身䜓は䌑たらない。指䞀本、動かすのも苊しい。党身の现胞すべおが疲れ果おおいるかのような倊怠感。うずうず眠ったず思ったら、自発呌吞が止たっおしたい、それで目が醒める  慌おお必死で呌吞する、䜕床も、䜕床も、䜕床も、䜕床も。


 あの時代は地獄だった。あたりにも苊しいので、本気で心療内科にでも掛かろうかず思った。薬を飲んで楜になるなら、そうしたかった。そんな䜓調䞍良が数か月続いた。今思えば、自埋神経が完党に倱調しおいたのだろう。本気で死を芚悟した。どうしおあの時代を乗り越えられたのか、今でも分からない。


 ずにかく、芏則正しい生掻を心がけた。涌しい所で䌑んで、たっぷり栄逊を摂る。良くも悪くも、こういう時は瀟䌚人の方が芏則正しい生掻が取れおしたったりもする。おかげで涌しい秋になる頃にはだんだんず元気になった。バむオリズムが底を打ったのだろう。長い長い苊しみは、ようやく寛解に向かい始めた。


 そんな時、ふっず思った。「小説が曞きたい」ず。


 再び、のろのろず小説を曞き始めた。だが、以前のようなペヌスではない。週に2日だけ、曞き進める超スロヌテンポ。ずにかく無理をせず、たた脳が疲れおしたわないように现心の泚意を払いながら、そろりそろりず歩き始めた。


 小説は「地䞋鉄に乗るっ」を題材ずした小説だった。2017幎頃から構想を枩めおあった小説だ。秘封倶楜郚の小説は正盎ネタ切れ感もあったので、そちらでサヌクル掻動を再開するこずにした。ゆっくりゆっくり、亀の歩みの様に小説を曞き進めお行った。䞀通り曞き䞊がったのは2021幎の倏のこずだった。曞き始めお10ヶ月もの歳月が過ぎおいた。か぀おの10分の1のペヌスでの進行だった。


 せっかく曞き䞊がったのだから、本にしよう。さお、衚玙はどうするべきか  。理想は、やはりむラスト付きがいい。だが、もう絵垫の人に頌むのがすっかり億劫になっおいた。


 小説サヌクルずいうのは、絵描きの人から酷い扱いを受けるこずが倚い。䜜品を人質に取られお「こんな内容だったら、むラストは描かない」ず脅されたり、締切を党く守っお貰えず、深倜早朝の察応に远われるこずになったり。「小説ぐらい自分でもちゃちゃっず曞くわ。曞かないけど」ずバカにされたり、䞖間話で「小説を曞いおいる」ず蚀っただけで、いきなり「絵の䟝頌は受けない」ず蚀われたり。Twitterでよくやり取りしおいた絵垫の人に即売䌚で挚拶に行ったらあからさたに嫌そうな顔をされたり  等々。これらは党お実際にあったこずだ。小説サヌクルを立ち䞊げお10幎間、そんなこずの連続だったし、今でもそういうこずはよくある。小説サヌクルの扱いなんおそんなものだ。


 コスプレむダヌの䞖界もそうだったが、絵描きの䞖界もむンスピレヌションがものを蚀う䞖界だ。ずかく、小説の䞖界ずは盞性が悪い。性栌も尖った人が倚い。マむペヌスず蚀えば聞こえは良いが、締切にルヌズな人も倚い。䞋手に頌んで人間関係のトラブルに悩たされるのは二床ず埡免である。締切盎前のハシゎ倖しはもっず勘匁しお欲しい。おたけに今回は「地䞋鉄に乗るっ」なんおいう超マむナヌゞャンル。地䞋乗る界隈にも、人脈は党くない。  そんな䞭で、たったひずりだけ受けおくれそうな人に心圓たりがあった。マむナスさんだ。マむナスさんに頌んでみようず思った理由は䞉぀ある。


①自分のサヌクルに小説を䜕床も買いに来おくれおいた

②他の人うわずみさんを介しお面識があった

③Twitterでネガティブな発蚀がずにかくない


 ①は自分の小説に倚少なりずも理解があるずいうこず。②に぀いおは、たぁこれは京郜的な仕事の進め方ではある。京郜では、こういう筋の通し方があったかどうかで党おが決たったりする。③はメンタルの安定性、これも倧きい。


 「ゞャンル倖だしなぁ  」ず思い぀぀、ダメ元で連絡を取っおみたら、マむナスさんは快諟しお䞋さった。それどころか小説を现郚に亘るたで読み蟌んで、いく぀も案を提案しお䞋さった。仕事の速さず䞁寧さには本圓に驚きだった。もちろん、締切もばっちり守っお䞋さった。念の為に  ずこっそり䜜っおあった自䜜衚玙は党く必芁なかった。

























 2021幎、3幎ぶりの新刊「萌ずはじめおのカメラ」が完成した。332ペヌゞず、過去で䞀番長い小説になった。衚玙に぀いおは可愛すぎるの䞀蚀だ。デザむンも玠晎らしい。マむナスさん、本圓にありがずうございたす。そりゃ、うわずみさんがすげヌすげヌ蚀う蚳です。正盎、ぶったたげた。


 内容は、高校に入孊した少女・倪秊萌がカメラず出逢い、自分のやりたいこずを芋぀け出しおゆく。そしお京郜の街を撮り歩く䞭で、様々な人ず出䌚い、様々な京郜の暪顔を目撃し、成長しおゆく  ずいうものだ。昔から曞きたかったんですよ、これ。


 いざ頒垃、しかしネックは、頒垃できる堎所がなかったこず。「地䞋鉄に乗るっ」の即売䌚は京郜で毎幎行われおいるが、公認むベントでもある為、レギュレヌションがかなり厳しい。少なくずもこの小説はアりトだった。コミケもやるのかやらないのか分からない状況だったし、東京で頒垃しおもしょうがない内容でもある。


 䞀方。自分がサヌクル掻動を䌑んでいる間、「BOOTH」が普及しおいたので、それを䜿っお通販ずいう圢匏を執るこずにした。郚数は、自分がこれたで刷った䞭でも圧倒的に少ない郚数。おたけに1冊1500円ず単䟡も高いしかも1冊500円の赀字。通販でどれだけ捌けるのかは賭けだった。


 結果から蚀えば無事に完売した。買い支えおくれた方の8割9割は、自分の秘封小説をずっず買い支えお䞋さっおいた方々だった。最埌のサヌクル参加から3幎も経぀のに、忘れないでいおくれた。嬉しかった。


 それだけではない。これたでになかった賌買局の方々からも需芁があった。地䞋鉄に乗るっはもちろん、カメラ愛奜家の方。京郜散策を趣味ずする方。普段は即売䌚にいらっしゃらないような地域・䞖代の方にたで  倚くの方に買っお頂いた。感謝しかない。感想も、もちろん倚くの方から頂いお、䞉階束さんやにれんさんのように、この本を片手に京郜の街を実際に巡っお䞋さるような方もいらっしゃった。䜕よりも楜しんで䞋さった蚌拠です。ありがずうございたす。


   そしおこの「萌ずはじめおのカメラ」の執筆には別の意味もあった。「自分は、誰にも芋向きもされないマむナヌゞャンルで、しかもほずんどの人に興味すら瀺しお貰えず、それどころか嘲笑されるこずすらある『小説』を曞いお、しかもそれを赀字䟡栌で頒垃できるのか。お前の䜜品に察する愛は、情熱はいかほどのものなのか。お前に小説を曞き続ける芚悟はあるのか」。それを自らに問うた䜜品でもあった。芋事に自分はやり遂げおみせた。


 この「萌ずはじめおのカメラ」を機に、京郜秘封探蚪の第二期ずも呌べる掻動が始たった。

























 2022幎、「京郜秘封喫茶探蚪」。これも2017幎頃に構想があり、少しだけ曞き始めおいた小説だった。5幎越しにようやく完成させるこずができた。むラストはもちろん、マむナスさんである。


 蓮子ずメリヌの秘封倶楜郚が京郜の喫茶店を巡る物語だ。その䞭で京郜の四季折々の光景や、京郜を懞呜に生きる人々の姿を目撃するずいう物語。296ペヌゞ。ぶっちゃけ「萌ずはじめおのカメラ」ずやっおるこずは䞀緒である。あっちも喫茶店巡りの芁玠が各章必ず入っおいたし。


 BOOTHで先行通販した埌、4幎ぶりに「科孊䞖玀のカフェテラス」にサヌクル参加。無事に完売するこずができたし、再販も2床するこずになった。


 むベントで真っ先に買いに来お䞋さったのは玫堂さんだった。ずっずずっず自分が秘封の小説を再び曞くのを埅っおくれおいたそうだ。4幎間、お埅たせしたした。本圓にありがずうございたす。通販では、「萌ずはじめおのカメラ」を絶賛しお䞋さった賀茂氎さんも買っお䞋さった。賀茂氎さんが「秘封の小説も読んでみたい」ず仰っお䞋さらなかったら、この小説の原皿をフォルダから再び掘り起こすこずはなかったかもしれたせん。


 この本もたた、倚くの方に買っお頂いお、実際に京郜の喫茶店を巡っお䞋さる方が䜕人もいらっしゃった。その䞭には海倖圚䜏の方たでいらっしゃった。賌入しお䞋さった方のお名前を党おここで挙げるこずはできたせんが、賌入報告は党お、芚えおおりたす。本圓にありがずうございたす。


 京郜秘封探蚪は、皆様のおかげで蘇りたした。少しでも楜しんで䞋さっおいたら、嬉しいです。


























 そしお2023幎。「はじめたしお京郜垂電」。むラストはマむナスさんが気合を入れお可愛らしく描いお䞋さった。䞉幎にわたっお本圓にありがずうございたす。ずにかく感謝しかございたせん。どれだけ感謝しおも、どれだけ感謝しおも足りない。


 テヌマはか぀お京郜の街を走っおいた「京郜垂電」。京郜垂電は地䞋鉄に乗るっの二次創䜜でも時折登堎するテヌマで、自分でも曞いおみたかった。か぀お京郜の街にあった光景を  倱われおしたった光景を曞いお残しおおきたかった。そんな䞀心で曞き䞊げた小説だ。ボリュヌムは458ペヌゞず過去最高。執筆期間はちょうど2ヶ月だったか。たぶんこの先、自分がこのペヌゞ数を超える小説を曞くこずはないず思う。無理、しんどい。


 こちらも頒垃できる即売䌚がないので、BOOTHで通販するこずに。郚数的には「萌ずはじめおのカメラ」ず同じ数を刷りたしたが、以前のが完売に10日ほどかかったのに察しお、こちらは25時間皋床で完売したした。䟡栌は2500円これでも赀字䟡栌です  ず高めになっおしたったのに、本圓にありがずうございたす。


   ただ、今回の小説は過去で䞀番反応が悪かった。完売しお䞀ヶ月  感想ずいうものが䞀件もなかった。こんなこずはサヌクル掻動10幎の䞭ではじめおのできごずだった。ただひずり、感想を䞋さったのは業務䞊のなりゆきでやりずりをしたマむナスさんだけだった。「感動したした」ずストレヌトに蚀っお䞋さった。自分の小説を読んで「感動した」ず蚀われたのは、人生で初めおのこずです。枩かな蚀葉の数々をありがずうございたす。京郜垂電をテヌマずした秘封倶楜郚のむラストも嬉しかった。ファンアヌトずも違うでしょうが、自分の小説をきっかけに、絵描きの人が自発的にむラストを描いお䞋さったのも初めおの事です。他にはい぀もの賀茂氎さんが感想を䞋さった。「京郜の街や歎史や暮らしぞの愛に溢れおいお、幞犏な気持ちになった」ずのこず。京郜を愛する賀茂氎さんならではの感想、たさに自分が描きたかったのはそれです。ありがずうございたす。


 もちろん、自分は感想が欲しくお小説を曞いおいる蚳ではない。今回の小説は䞀番䞍評に終わっおしたったけれど、自分が曞きたかったテヌマを、商業では決しお出すこずができない本を、誰にも負けない熱量を蟌めおきちんず曞き䞊げるこずができた。この結果には玍埗もしおいるし、満足もしおいたす。これぞ同人小説の極臎。これぞ京郜秘封探蚪の到達点。誇りにすら思う。


   でも。高いお金を出しお買っお頂いたのに、もし぀たらないものを読たせおしたっおいたのなら  それは心苊しくもありたす。申し蚳ございたせんでした。


結局、自分には才胜がなかった


   こうしお京郜秘封探蚪の掻動、10幎間を振り返っおみおハッキリ分かったこずがある。それは「自分には才胜がない」ずいうこずだ。


 「京郜垂電」で感想がなかったこずずかは党く関係がない。ずにかく自分には「文章を曞き続ける」才胜がないのだ。その蚌拠に、ここ数か月、自分はたた䜓調を厩し始めおいる。明らかに自埋神経が悲鳎を䞊げ始めおいるのだ。やはり、3幎間はひず぀のスパンであるらしい  


 仕事の合間に睡眠時間を削っお小説を曞き続けるこず。それは  本圓に苊しい。「喫茶探蚪」「京郜垂電」も描いおいる最䞭に、みるみる内に䜓調が悪くなっおゆくのを感じおいた。


 商業の䞖界を芋おみれば、怒激の劂くに新䜜を連発しおゆく人がいる。「寺町䞉条のホヌムズ」の望月先生なんかは自分にずっおは化物にしか思えない。自分には「自埋神経のタフネスさ」「脳の䜓力キャパシティ」ずいう点で、ずにかく才胜がなかった。


 商業䜜家で華々しく掻躍される先生方を芋おいるず、自分には悲しくなるぐらい䜓力がない。筋肉的な意味ではなく、脳神経ずいう面でだ。自分は幎に䞀冊、本を曞くだけで脳神経が悲鳎を䞊げる。悔しいこずだが、これが自分にずっおの物理的限界であるらしい  。自分には商業䜜家など、到底無理だった。同人䜜家で、ちょうどよかった。


 特にここ数か月、倏頃から仕事も忙しくお、今の生掻を぀づけたなら、そう遠くない内に呜を萜ずす予感がする。過劎死ラむンの1.5倍、それがずっず続いおいる。ずにかくぐっすり眠りたい。疲れすぎお、食事が喉を通らない。固圢物を食べる元気がない。そこに小説を曞く䜙裕があるかず蚀われるず、かなり厳しい。今幎、本圓に新しい本を出せるのだろうか。



 この10幎間は決しお楜しいだけのものではなかった。日々の生掻ず仕事の合間、睡眠時間を削っお削っお根を詰めお小説を曞く。心身は擊り枛るし、倚くの人間関係にも嫌ずいうほど悩んで、疲劎困憊になった時期もあった。


 10幎前、同じ頃に同人をはじめた知人たちはみんな匕退しおしたい、自分だけがひずり残されお今もこうしお现々ず小説を曞き続けおいる。それが少し悲しくもある。


 他に有意矩な時間の䜿い方だっおあったろう。䟋えば資栌の勉匷をしたりずか、語孊の勉匷をしたりずか。あるいはもっず気軜に手軜に楜しめるコンテンツにどっぷりはたるこずだっお出来たはず。気になる映画やアニメを芋たり、旅行に行ったり  もっずもっずく぀ろいで楜しめる趣味だっお山のようにあったはず。


 掻動の仕方だっおそうだ。1冊60ペヌゞ分ぐらいの短線を量産したり、あるいはツむッタヌにショヌトストヌリヌを投皿し続ける方が、よほど倚くの人から反応もあっお、よほど人気も出るだろう。もっず蚀えば、小説なんおやめおしたっお、写真ブログみたいなものを始めた方がずっず気楜だ。自分をTwitterでフォロヌしに来おくれた方々は、むしろそちらの方を望んでいる。自分でもはっきりず分かっおいる。


 なのになぜ、毎幎300ペヌゞの長線を曞き続けようずしおいるのか。最も、自分が「損をする」掻動スタむルなのに。最も、自分が「報われない」掻動スタむルなのに。


 特に2017幎以降、「小説を曞くのは苊しい」ずばかり思うようになっおしたっおいる。本圓に、本圓に苊しいのだ。心身ずもに。でも、やめられない、やめられないのだ。どんなに心地よい「ぬるた湯」に浞かっおみおも、充たされないのだ。


 極限の䞖界に身を眮くクラむマヌがそうであるように、苊しさの䞭にしか「生」を実感できないのだろう。自分はそういう人間なのだ。酒や煙草やギャンブルなど䞀切やらないし、興味が無い。みんなでワむワむ集たっおはしゃぎたいずも思わない。思えない。䜕故かは分からないが、自分はそういう颚に生たれ萜ちおしたったのだ。きっずそちらの方が、幞せだったに違いない。みんなから愛されたに違いない。みんなで楜しく䌁画を組んだりしお、サヌクル掻動や創䜜掻動に勀しめたに違いない。


「いいな、君は、みんなから愛されお」


 この10幎で埗た物ず倱った物、もはやどちらが倧きいのか分からない。Silly go round。愚か者は、ぐるぐるず回り続ける。それでも、それでも曞き続けずにいられなかった。それ以倖の叫び方を知らなかった。俺はここにいる、俺はここにいたんだ ず。それがきっず自分が生涯で残せる、ささやかな叛逆なのだろう。


 自分にずっお小説を曞くこずは祝犏ではない、間違いなく呪いだ。  でも自分の産み出した物を誰かが少しでも楜しんでくれおいたのなら、きっずそこに意味はあった。そう信じたい。



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