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K-1と旅した異国の景

更新日:2021年5月16日


(PENTAX K-1 / DFA28-105mm F3.5-5.6WR)


※このブログに掲載されている写真は全てjpeg撮って出しそのままとなっています。一部、水平の調整を除き、サードパーティのソフトウェアによる現像・色彩の調整等は一切行っていません。ペンタックスの画づくりそのままのものとなっています。



 ペンタックスK-3 MarkⅢも無事に(無事なのか?)発売されて、2021年も気がつけば5月。という事は、あのペンタックスフルサイズ、K-1が発売されてもう5年も経つという訳で……


 K-3 MarkⅢのスペックの高さから、「もうフルサイズは要らない」論争が一部で取り沙汰されたりされなかったりする今日この頃。うん、それ初代K-3(2013年)発売の時に散々聞きました。


 次世代(※あくまでも社内比)のペンタックスAPS-C一眼レフが発売された今、フルサイズは必要か?K-1Ⅱに存在意義はあるのか?という命題において。結論から言えば「ある」と断言できます。


 K-3 MarkⅢは確かに優れた画質も有するカメラではありますが、やはりまだまだ画質の面ではK-1 MarkⅡにアドバンテージはあるな……というのが自分の印象です。もう少し詳しく言えば、高感度耐性やダイナミックレンジ、色再現の3点においてです。画素ピッチの余裕で言えば、単純計算でK-1 MarkⅡはK-3 MarkⅢの1.6倍程の広さがあり、そこには絶対的な物理的な差があると感じています。


 さらに言えば、K-3 MarkⅢにおけるコストパフォーマンスの「悪さ」を考えた時、むしろ今まで以上に積極的にフルサイズのK-1シリーズを選択するメリットが大きくなったなと思います。もちろん、何をどう撮るか、という各ユーザーのスタイルによてその最適解は異なるでしょうけれど、K-1 MarkⅡとK-3 MarkⅢはまだまだ共存できると感じています。


 一枚目の写真は関西国際空港です。翼を見ればANA機だと言う事が見て取れますが、これは2018年に沖縄に行った時のものでして……。海外へ行く時はエールフランスやルフトハンザ、エミレーツなど、海外のキャリアばかり使っています。

(PENTAX K-1 MarkⅡ / DFA28-105mm F3.5-5.6WR)


 フランスのパリ、シャルル・ド・ゴール空港。フランスの代表的玄関口であり、ヨーロッパで最も忙しいと言われる空港で、最盛期となる2019年は7500万人の人々が乗降したそうです。2020年はお察しください。また、ここはかつては超音速旅客機コンコルドが発着しており、コンコルドの墜落事故が発生したのも当地です。今でもコンコルドの15号機がこの空港に展示されています。


 慧が初めて踏んだ異国の地は、このCDGでした。とは言っても、この時は飛行機の乗り継ぎの為だけでして。トランジットの待ち時間が3時間ほどあったので、時差ボケで変なテンションになりつつ面白がってターミナルを行ったり来たりして写真を撮って遊んでました。


 何てことのないこの写真。ハイライト部とシャドウ部が見事に両立しており、階調が崩れていません。これぞペンタックスK-1 MarkⅡの真骨頂であるダイナミックレンジの広さです。さすがにシートバックは真っ暗ですが、そこは肉眼でもキツいレベルなので……。普通のカメラだと、空の青さを残そうとすると室内が黒く潰れてしまうか、あるいは室内の階調を残そうとすると、空の青さが薄れてしまうかになるかと思います。


 なお、シャルル・ド・ゴールからはドーバー海峡を飛び越えてイギリスのヒースロー空港へ。イギリスにしばらく滞在した後はロンドンのセント・パンクラス駅からユーロスターでドーバーの海底を走り、パリ・ノール駅。再びフランスに入る形の行程でした。


      (PENTAX K-1 MarkⅡ / DFA28-105mm F3.5-5.6WR)


 パリ・ルーヴル美術館のカフェにて、ルーヴルでは全てが芸術となる……。はじめてのルーヴルはなんてことなかった……などと嘯いてみたい所ですが、ルーヴルは本当に凄かったです。ルーヴルはセーヌ河畔に建てられており、すぐ近くにはシテ島と呼ばれる大きな中州があります。かつてシテ島は交通の要衝であり、シテこそがパリ発祥の地となります。そしてパリを防衛する為の拠点として造られた要塞がルーヴルであったといわれています。有名なノートルダム大聖堂も、そのシテ島に建てられているのですが、訪れた数ヵ月後に火災で倒壊しました。


 最重要の軍事施設であったルーヴル。結局は戦火に巻き込まれることはなく、後に宮殿となりました。自然、ルーヴルはそれ自体が非常に豪壮な造りとなっており、建物そのものも大変見応えがあります。さらに、その内側には38万点にも及ぶ美術品が収蔵されています。モナ・リザ、ナポレオンの戴冠式、民衆を導く自由の女神、サモトラケのニケ、ミロのビーナス……。誰もが本で見たことがあるような名画、名作の数々を見ることができます。凄かった。


 え? わたしだけのモナ・リザは見つかったかって? ……やめましょうか、この話。写真は苦手なんだ。


      (PENTAX K-1 MarkⅡ / DA55-300mm F3.5-6.3 WR PLM / DA REAR CONVERTER 1.4×AW)


 パリ、シャンゼリゼ通りとエトワール凱旋門。ルーヴル美術館の正面入口「ルーヴル・ピラミッド」からは、カルーゼル凱旋門、チュイルリー庭園を経て、「クレオパトラの針」オベリスクの建つコンコルド広場。さらにシャンゼリゼ通りからエトワール凱旋門まで一直線となっています。


 コンコルド広場はフランス革命の際、ルイ16世やマリー・アントワネットのギロチン刑が行われた場所です。そのコンコルド広場からシャンゼリゼ越しにエトワールを狙いました。コンコルドから凱旋門までは2400m、エトワール凱旋門は高さ50m。K-1のAPS-Cクロップ&最大望遠&1.4倍のリアコン使用でちょうどこのような按配です。


 さすがに空気の揺らぎと排気ガスでモヤった画像になっていますが、これはこれで……。でもエトワール凱旋門の上に人が立っているのはちゃんと分かります。登れるんですよ、あれ。エトワールの周囲は巨大な巨大な環状交差点。三車線ぐらいあったような。凱旋門を中心に12本の道路が放射状に伸びており、その形が星(エトワール)に見えることからエトワール凱旋門と呼ばれているそうで。あと、パリの運転はめっちゃ荒いです。大阪や名古屋、京都なんてメじゃないです。


 ちなみにシャンゼリゼ通り。当時のパリは黄色いベスト運動の真っ最中で、毎週土曜は暴動の日。通り沿いのお店も破壊されていたり休業していたり……でした。暴動そのものは見なかったのですが、滞在中の土曜日にもやはり暴動があったようで、ユーロスターが遅延したりなども起きていたようです。


 それはさて置き。パリには数日間ほど宿泊したのですが、本当に景観が素晴らしかったです。パリの建物はそのどれもが海底に堆積したサンゴ由来の石灰岩で作られており、全ての建物の高さと色合い、意匠が統一されています。おかげで町全体がびっくりするぐらいの迫力と美麗さを有しています。花の都の名に偽りなしです。


 京t……極東の島国のどこかの自称・古都(笑)、自称・文化的首都(嘲笑)も「古くからの景観をとても大切にしている」そうで、パリとも姉妹都市の協定を結んでいるそうですね。マジでやめてください。恥ずかしいんで。


(PENTAX K-1 MarkⅡ / DFA28-105mm F3.5-5.6WR)


 こちらはパリから22km離れた地にある、そう、ヴェルサイユ宮殿です。宮殿そのものは文句もつけようのない位の豪壮さなのですが、どちらかと言えば庭園にこそヴェルサイユの真骨頂があるようで。宮殿そのものの建設に投入された人員は25000人、庭園はなんと36000人だそうです。いやでも宮殿も相当凄かったですよ。


 写っているだけでも極めて広大なヴェルサイユの庭園ですが、昔はもっともっと広かったそうで。うろ覚えですが、往時の1/4しか残ってないようです。この場所から運河のむこうまで、例によって2kmぐらいあるようです。


 京t……極東のどこぞの島国の自称・古都の、なんとか公園の片隅にある何とかっていう洋館。テレビに出る時にいつも「まるでヴェルサイユだ……!」とか言われてるんですが、マジでやめて。スケールもダイナミックさもあまりに違いすぎるんで。庭園だけで京都御苑がすっぽり入るんで。


(PENTAX K-1 MarkⅡ / DFA28-105mm F3.5-5.6WR)


 自動小銃FA-MASを持った警備の人たちが巡回するヴェルサイユ。そんな中でやることと言えば、もちろんポケモンGOですよ?(カーブボールクルクル~


 ポケモンも大事なんですが、ペンタックスですよペンタックス。この空の青さと芝の緑! もう文句のつけようもない程のペンタックスならではの画づくりです。こういうシーンに遭遇した時、ペンタックスを選んだ事の悦びを知ることができますね。ペンタックス、中でもK-1は別格だと思います。645Zはさすがに分かんないですが……


 645Zも興味は尽きないんですが、京都は三脚を立てられない場所ばかりな上に、どうしても暗所での撮影が多いので、どうしてもキツいのです。ボディ内手ブレ補正が搭載されたらちょっと考えます。


(PENTAX K-1 MarkⅡ / DFA28-105mm F3.5-5.6WR)


 ヴェルサイユ宮殿内部の天井画。ヴェルサイユは収蔵されている美術品ももちろん凄いのですが、天井一面に豪奢な絵画がびっしりと描かれています。写真じゃ分かりづらいですが、めちゃめちゃ大きいですよ。フランスとイタリア、ヴェルサイユとフィレンツェは、観光したら首が痛くなるなんて言われています。いやほんとその通りです……


 基本的に宮殿内部って暗いことも多いので、こういう時ペンタックスの高感度耐性には本当に助けられています。これでISO6400、シャッタースピード1/100でしたかね。K-1 MarkⅡとK-3 MarkⅢ、どっちが高感度がいいか? という話では、なかなか甲乙付けがたい部分があり……。明らかにK-1Ⅱの方がよく見える作例もあれば、明らかにK-3Ⅲの方が良く見える作例もある。個人的見解ではISO25600オーバーを使うならK-3Ⅲ、それ以下ならK-1Ⅱかな。


 ちなみにヴェルサイユは確か奈良と姉妹都市です。……まあいいんじゃないですか。奈良にはイオn……平城宮跡あるし。広いし。めっちゃ。


(PENTAX K-1 MarkⅡ / DFA28-105mm F3.5-5.6WR)


 こちらは有名なモン・サン・ミッシェル。日本語に訳すと「聖ミカエルの山」となりまして、その名の通り教会、もう少し正確に言えば修道院です。


 フランスのノルマンディー地方、サン・マロ湾に位置するモン・サン・ミッシェル。海上に浮かぶ岩礁の上に造られた巨大な修道院なのです。漫画「もやしもん」のフランス編では長谷川さんが「どう見ても戦闘要塞じゃん」などと漏らしていましたが、英仏間で勃発した百年戦争の際には実際に戦闘要塞として使われておりました。


 1979年には世界遺産としても登録されたモン・サン・ミッシェル。バブルの頃には……それはそれは大勢の日本人が押し寄せたとか何とか。まあヨーロッパの有名所ってどこもそんなんですよ。他にはゲーム「ポケットモンスターX/Y(第六世代)」に登場するマスタータワーのモデルでもあるようで。すまない、ポケモンは金銀までしか分からないんだ(初代世代


 古くからのペンタックスユーザーの方々にとってはFA77mm F1.8 Limited(2000年11月25日発売)開発の際、その作例を撮りに旭光学の方々が渡仏して、このモン・サン・ミッシェルを背景に小さく写し込んだ……みたいな話が知られているようで。今でもFAリミテッドレンズの講演の際にはいつも紹介されるようです。


 モン・サン・ミッシェルの発祥は西暦708年、オベール司教という人物が天使ミカエルからのお告げを受けて、岩礁の上に聖堂を建てたことが始まりと伝えられています。


 以降、1000年以上に渡って増改築が繰り返されて現代の形となりました。あまりに長いその年月と歴史の為、修道院には多種多様な時代の建築様式がキメラのように各所へ残されており、見応えは抜群。歴史的にも文化的にも極めて貴重な存在であります。


 島内には今も人々が生活しています。名物は「プラールおばさんのオムレツ」。もともと少ない食材で、少しでも巡礼者のお腹を満たそうとして考案されたもので、卵白をひたすら泡立てまくって空気を取り込みまくってスムージーに仕上げたオムレツ……だったはず。味は……正直……無味乾燥……せめて醤油くれ醤油(日本人脳


(Motolora Moto Z2 Play)


 モン・サン・ミッシェルのテラスより。干潮時はこのように干潟となるモン・サン・ミッシェルは、もちろん満潮時には周囲の全てが海になる……はずだったのですが。観光地となった後は島と陸を結ぶ堤防道路が作られた為、土砂が堆積するようになってしまい、かつてのように完全な孤島となることはほとんどありません。


 それもあって、堤防道路を解体して長大な橋梁として造り直し。また、河の部分にダムを造ることによって(写真に写っている橋がそう)土砂の堆積をコントロール。かつての幻想的な姿を取り戻そうと試みられています。ちょっとずつ減ってきてるみたいですよ。土砂は。


(PENTAX K-1 MarkⅡ / DA55-300mm F3.5-6.3 WR PLM / DA REAR CONVERTER 1.4×AW)


 朝靄に霞むモン・サン・ミッシェル。暗い内に起きて、クエノン川のダム「パラージュ・デュ・モン・サン・ミッシェル」より、夜明けのモン(って略すらしい)を狙いました。距離にして約1.8km。ペンタックス最新の望遠レンズとリアコンバータを装着。モンにフォーカスを合わせます。


 天候や潮の状態によっては、モルゲンロートのように東側が真っ赤に染まったり、海上にモンの姿が鏡のように写り込んだりもするようです。そこまでの光景はさすがに見られなかったですが、とても幻想的な姿を見ることができました。


(Motolora Moto Z2 Play)


 撮影中の様子はこのような感じでした。尖塔の部分だけでも水に映る部分があって良かった良かった。ちょっとでも映るのと全く映らないのでは大違いですからね。撮影スポット探しって大事です。


 サン・マロの海は満潮と干潮では18kmも潮の満ち引きがあるそうです。干潮の時はもちろん、徒歩でモンまで歩いて渡ることができるのですが、干潮から満潮に切り替わる際は猛烈なスピードで潮が押し寄せるそうで、古い時代は多くの巡礼者たちが潮に飲まれて命を落としたそうです。


 「モン・サン・ミッシェルを目指す者は遺言書を書いてゆけ」とまで言われたそうな。今ですか? 陸地と島を繋ぐ無料のバスでスイーっと行けますよ。超便利。


(Motolora Moto Z2 Play)


 モン・サン・ミッシェルの陸地側にて、宿泊したホテルの部屋に飾られていた写真です。雲海に浮かぶモン・サン・ミッシェルですか……。条件が揃えばこんな凄い光景が見られるのですね。とは言え、こういうのは何年も何年も通い詰めて、一生に一度撮れるか撮れないか……なのでしょうね。


 モンはまた行ってみたい場所ではあるのですが、いかんせんパリからめちゃ遠いんですよね……。再び訪れる機会があるかどうか。こういう御時勢ですしね。


 なお、モン近辺のお店。普通に日本語で対応してくたりします。島内のお土産屋さんの方が「オツリ、チョットマッテネー」とか普通に言ってきます。日本人、どれだけ来てるんですかココ……


     (PENTAX K-1 MarkⅡ / SIGMA 8-16mm F4.5-5.6)


 夜のモン・サン・ミッシェル島内。モンは普通に人々が暮らす村でもあるので、夜中でも普通に入れます。ライトアップもされていて、とても良い風景が広がっています。


 日本人の目からすれば、石造りの建築はどれも新鮮に見えますし、階段や回廊も沢山あり、立体感ある景色が楽しめます。もちろん島内にはホテルもあって宿泊もできますよ。見応えも写真の撮り応えもとてもあります。


 ……そう言えばどこかの写真家の大先生が「モン・サン・ミッシェルは江ノ島だから渡ったら意味がないんだよHA HA HA」と仰ったそうですが、江ノ島ってそんなにつまらない島なんですかね。関西人なのでよく分かりません(鼻ほじ


(PENTAX K-1 MarkⅡ / DFA28-105mm F3.5-5.6WR)


 こちらはフランスの前に滞在したイギリスにて。コッツウォルズ地方にあるバイブリーという村で、イギリスで最も美しい村と呼ばれているそうです。アーリントン・ロウと言う名前が有名かもしれません。


 築600年以上を経たコテージなのですが、今でも現役の住居として使用されています。基本的にヨーロッパでは「築100年は新築」といった扱いのようで。大規模な建物も、石造りの外装だけはそのままにして、内部だけを近代的な仕様に改築するといったことがパリやロンドンでも行われています。


 コッツウォルズの石材は有名なようで、Amazonプライムの「グランド・ツアー」で、ジェレミー=クラークソンのお家が爆破されたアレ。アレもコッツウォルズの石で出来てたって言ってませんでしたっけ。


 ちなみにロンドンは暗色系の建物が多く、パリは暖色系の意匠になっていますね。ロンドンはちょっと息が詰まるぐらいの荘厳な街並みで、パリは開放感ある明るい雰囲気です。


(PENTAX K-1 MarkⅡ / DFA28-105mm F3.5-5.6WR)


 こちらもコッツウォルズ。ボートン・オン・ザ・ウオーターと呼ばれる街です。イギリスのベニス(ヴェネツィア)と呼ばれるらしいですが、狭くて浅い水路がちょこっとある程度なので、今すぐイタリア行って謝ってきた方がいい。……街並みはまあ綺麗ですけれど。大阪の堺? いえ、知らない子ですね……


 ここいらはイギリスで最も人気のある観光地だそうで、週末になればロンドンあたりからやってきた人たちがひたすらハイキングしてるらしーですよ。


 こちらの写真のこってりとした色の乗り。イギリス自体がそういう色彩が多い国なのですが、きっちりその辺りを押さえてくれるペンタックス、さすがです。


 この時の英仏旅行は2019年3月。ロンドン、コッツウォルズ、ユーロスターでパリ、ルーヴル、ヴェルサイユ、モン・サン・ミッシェルと一週間ほどの旅でした。初めての海外だったのですが満喫しましたね。本当に良かったです。


(PENTAX K-1 MarkⅡ / DFA28-105mm F3.5-5.6WR)


 こちらは2019年4月にドイツに行った際、ライン川をクルーズした時のものです。ライン川はスイスからドイツ、フランス、そしてオランダまでを流れる全長1200km以上にも及ぶ長大な川です。クルーズも盛んで、慧はリューデスハイムという街からコブレンツまでの区間に乗船しました。有名なローレライもこの区間内にあります。


 ラインは非常に広い川であり、鉱石を満載した工業船が数え切れない程に行きかっています。そんなラインは言うまでもなく工業と産業の生命線とも呼べる川であり、古くからその覇権を巡って戦争が絶えなかったようです。よって、川岸には要塞や城砦が非常に多く建てられており、今でも古城を数多く見ることができます。


 ちなみにクルーズ船。フツーに日本語で観光案内の放送が流れます。昔はローレライの所にもカタカナで大きくローレライって書いてたらしーですよ。日本人、一体どれだけ来てるんだ……(海外に行くといつも思う


(PENTAX K-1 MarkⅡ / SIGMA 8-16mm F4.5-5.6)


 ドイツの学園都市たるハイデルベルク。ハイデルベルク大学の学生牢。古くから大学の街として有名なのがハイデルベルクなのですが、基本的に大学自治という考え方があって、学生の処罰は警察ではなく大学が行うもの……という方針だったそうで、学生たちが「やらかした」時に処罰の為に使われた牢がこちらです。


 まあ言うて、学生たちにとって、この学生牢に入ることはむしろ名誉なことと捉えられていたようで、どれだけ反省の場としての意味があったのかは極めて怪しいです。これらの学生のよる落書きみても分かりますよね。


 ちなみにこのハイデルベルク大学。色々とやらかすことでとても有名な京都大学の欧州拠点ともなっており、この学生牢の入り口にもしっかり「京都大学」の四文字が書かれています。……まあ、お似合いなんじゃないですか?色々と。


(PENTAX K-1 MarkⅡ / DFA28-105mm F3.5-5.6WR)


 ドイツのバイエルン州にあるノイシュヴァンシュタイン城。ペッラート峡谷のマリエン橋から見た、有名な光景です。白鳥城とも呼ばれるそうなのでして、特に雪が降った時はそれはそれは美しい光景が見られるそうです。


 1869年(日本だと明治2年)、バイエルン王であるルードヴィヒ2世によって建設が開始された城なのですが、もちろん当時としてこういった城は時代遅れな訳でして。このルードヴィヒ2世が……その……少しばかり精神的に色々アレな人……もとい「夢見がちな人」でして、中世の騎士道への憧れから「自分の趣味だけの為に」作ったというお城です。


 かの王様は完成を見ることなく、湖の上に浮かんで死んでいるのが見つかったそうでして。「自分が死んだら破壊せよ」的なことを生前から述べていたそうなのですが、王の死後、速攻で観光地として公開されたそうです。


 ノイシュヴァンシュタインは米ディズニーランドのお城のモデルになったそうな。あと、兵庫県姫路市にレプリカがあります。よく特撮とかのロケに使われています。それとコスプレイベント。


(PENTAX K-1 MarkⅡ / DFA28-105mm F3.5-5.6WR)


 ノイシュヴァンシュタイン城のテラスから見た光景。右下に見えるお城はホーエンシュヴァンガウ城。ルードヴィヒ2世が幼少時代を過ごしたお城だそうです。まるで絵画のようなこの景色、ノイシュヴァンシュタインに勝るとも劣らない価値があると思います。


 バブルの頃は日本人以下略で、観光客の4割が日本人だったそうな。このお城のお店もまた普通に日本語が通じて「ハイ!オツリニジュウユーロ!アリガトー!」とか言われました。


 ドイツには観光街道(休暇街道)と呼ばれる、テーマ毎にルートの構築された観光経路が150ほどありまして。その中の一つにロマンチック街道と言うものがあります。まあ……何故かこのロマンチック街道(だけ)がバブルの頃に日本人に大ウケしたらしく(理由は全く不明、いまだ不明。おそらくネーミングのせいだと言われている)、日本人が大挙して押し寄せてきたらしいですよ。そしてそのロマンチック街道の終着地だったのが、このノイシュヴァンシュタイン城な訳です。


 眼下の集落からノイシュヴァンシュタイン城へはけっこうな急坂があるのですが、連続するヘアピンカーブをものすごい勢いで走ってくれるアトラクション……もとい無料バスがあります。運転手のお兄さんはもちろん「アリガトー」と言ってくれます。そこで笑うのは間違いなく日本人。あるいは馬糞だらけの道を馬車に乗って登るというのもアリ。


 この時のドイツ旅行は6日ぐらいの旅だったでしょうか。けっこう駆け足だったのですが、フランクフルトとミュンヘンに滞在して、ハイデルベルク、ローテンブルク、ネルトリンゲン、ライン川クルーズ、ロマンチック街道などを周りました。


      (PENTAX K-1 MarkⅡ / SIGMA 8-16mm F4.5-5.6)


 こちらはイタリア。ミラノの有名なアーケードですね。正式名称は「ヴィットリオ・エマヌエレ2世ガッレリア」と言うそうです。高級ファッションのお店が立ち並ぶ所で、プラダの本店はまさにこの場所です。他にはカンパリ発祥の地でもあります。


 ファッションの街・ミラノ。様々な高級ブランド店が立ち並んでいますが、それに混ざってユニクロもありますよ。あと怪しい日本料理店。


 それと……勘の良い方はお気づきかもしれませんが……。このミラノの写真、超有名観光スポットなんですが、人が少ない、少なすぎるんですよね。なぜならこれは2020年の2月下旬のものでして……その……コロナ……(小声


 ちなみに現地。イタリアはヤバイヤバイ言われまくってた時期なんですが、マスクしてる人はほぼ皆無でした。お国柄でしょうねえ……。当時の写真で、イタリアでマスクつけてる人の写真がメディアによく載ってましたけど、それは1%ぐらいの人をうまいこと見つけてきて撮ったか、あるいはヤラセです。


(PENTAX K-1 MarkⅡ / SIGMA 8-16mm F4.5-5.6)


 ヴェネツィアのゴンドラに載って。世界中のあっちこっちにある「○○のベニス」じゃなくて、正真正銘、本物のベニスです。まあ、人はとっても少なかったです。


 水の都として有名ですが、水はそんなに綺麗じゃないです。割と道頓堀とドッコイじゃないですか? ヘドロの匂いもちょっとします。コロナ禍で人が減ったおかげで水質は改善して、水も透き通り始めたそうです。やはり人間は愚か……。ゴンドリエーレの人たちは商売上がったりでしょうけれど(ちょっと多めにチップ入れといた


 つい最近NHKで放送された劇場版「ラブライブ!サンシャイン Over the Rainbow」のイタリアパートにも登場しましたね。


 天気があまり良くなくて、なかなか綺麗な写真が撮れなかったのが残念な所。K-1のダイナミックレンジを持ってしてもダメな時はダメ。それとシグマの超広角、ハイライトがけっこう飛びやすい気がしますね。ミラノのアーケードのもそうなんですが。


(PENTAX K-1 MarkⅡ / DFA28-105mm F3.5-5.6WR)


 イタリア、火山の噴火によって埋もれた都市・ポンペイ。西暦79年、ヴェスヴィオ火山の噴火と、それに伴う火砕流によって都市は消滅。ポンペイが再発見されたのは、およそ1000年後のことです。


 この時のイタリア旅行は確か10日間。関西国際空港からドイツのルフトハンザ機に乗り、ミュンヘンで乗り継ぎを行い、これまたルフトハンザでミラノ空港……という形でした。コロナ禍の影響もあり、フライトがキャンセルになったり、まあ色々とありましたね……。どうもロストバゲッジも発生してたっぽいですし。イタリアのキャリアにはアルタリアがあるって? いやぁ……だってあそこは……


 ミラノからはフィレンツェ、ヴェネツィア、ピサ、ローマ、アルベロベッロ、ナポリ、ポンペイ、カプリ島、アマルフィ……とイタリアをほぼ縦断する形での旅行でした。食事も美味しかったですし、パスタとピッツァ三昧の毎日でしたね。


 なお、帰国して数日後。イタリア国内の移動が禁止に……


(PENTAX K-1 MarkⅡ / DFA28-105mm F3.5-5.6WR)


 イタリアに先立つ2020年1月。お正月が明けてすぐの頃にはエジプトへ飛んでおりました。これも一週間ぐらいでしたかね。


 エジプトは外国人観光客を狙うテロが毎年のように発生しており、「いつか治安が良くなったら……」なんて思っていたのですが、今以上に良くなる保証もないということで思い切って行って来ました。当時、中国では既にコロナが確認されていたらしいのですが、まだまだパンデミックには程遠く、全く話題にも上っていない。せいぜい新聞の片隅に小さく小さく載る程度でしかありませんでした。


 それから一ヶ月後には世界中で感染拡大が進み、あっという間にとてもではありませんが海外旅行など行ける様な状況ではなくなりました。今思えば、本当に行っておいて良かったと思っています。


 なお、ピラミッドの近くには大エジプト博物館という新たな博物館が2020年秋にオープン予定だったのですが、エジプトの人からしたら踏んだり蹴ったりですね……


(PENTAX K-1 MarkⅡ / DFA28-105mm F3.5-5.6WR)


 ルクソール、王家の谷。かの有名なツタンカーメン王の墓所がある地でもあります。ここに来るのは小さい頃からの夢でした。まさか本当に来れるとは思わなかったですね。


 ちなみに王家の谷。カメラの持ち込みは有料で、基本的にカメラは入り口で預けなければなりません。王家の谷に限らず、カイロ考古学博物館やピラミッドなど、カメラによる撮影が基本禁止の場所がかなり多いです。でもスマートフォンはOK。エジプトに行く際は、トリプルレンズぐらいのスマホを確保していくといい感じです。現地で使えるSIMを用意しておけば(Amazonとかでも買える)、砂漠のど真ん中でもない限りはちゃんとLTE/4Gも入ります。


 また、エジプトは何かにつけてチップチップチップです。ちょっと案内されたら(頼んでない)、チップ。預けたものを受け取る時にもチップをせびられます。とは言えせびられるだけで、別に払わなくても嫌な顔はされません。エジプトの人たちは「外国人観光客がいなければ生活が成り立たない」とよく分かっているので愛想も良くて、みんな陽気ですよ。


 さらに、この国には定価というものが基本なく、価格交渉するのがデフォルトです。基本ボられるのですが、それでも日本人からすれば子供の小遣い以下です。エジプトの人の一日の日当って、日本円なら1000円ぐらいじゃなかったでしょうか。


 エジプトでは何処へ行っても物売りが凄く、観光客を見つけたら物売りの人たちが寄ってきて土産物を売りつけようとしてきます(安いよ……)


 そして何処へ行っても同じような売り文句を言われまして……。「ワンダラ!ワンダラ!(1ドル!1ドル!」「ヤマモトヤマ!(どこで知ったんだ……」「カカクハカイ!」「モッテケドロボ!」「モウカッテマッカ?」「ボチボチデンナー」……等々。しつこいぐらいに、何処行ってもコレを言われます。特に「ヤマモトヤマ」。ちなみに1ドルって言われても実際に1ドルであることは極めて稀です。


 誰だ誰だ。変な日本語を教えて広めたのは一体誰だ(困惑。現地でお世話になったガイドさんは、日本大使館で日本語を勉強したって言ってましたけど……


(PENTAX K-1 MarkⅡ / DFA28-105mm F3.5-5.6WR)


 エジプトとスーダンの国境あたり。アブ・シンベル村にあるアブ・シンベル大神殿。巨大な石像のあちこちに白い線が入っていると思いますが、これらは近代に入ってから石像をブロックごとに切り分けた際のものです。


 アスワン・ハイ・ダム建設の際、このアブ・シンベル神殿(大と小の二つある)がいずれ水没してしまうことが判明した為、高さ数十メートルもある、砂岩をくり貫いて造った神殿を無数のブロックに分割。移築したそうです。


 当時、まだまだ冷戦真っ只中。エジプトは基本的に親ソ連(親ロシア)の国家でして。移築における資金集めも非常に苦労したようです。仇敵となるイスラエルはアメリカ側の国ですしね。アスワン・ハイ・ダム建設もソ連の援助があったようです。アブ・シンベル移築にあたっては、日本にも門外不出の秘宝であったツタンカーメンの黄金のマスクを貸し出すことによって資金集めを行ったはず。


 アブ・シンベルへはアスワンからバスで向かったのですが、蜃気楼の立ち上る砂漠のど真ん中、地平線まで延びる一本道250kmをひたすら走って走って走るという……。往復500kmですね。トイレは途中のオアシス(!)に一箇所。急ぐ人は飛行機使いましょう。アブ・シンベル空港ってありますので。


 エジプトはカイロ、ギザ、サッカラ、ダハシュール、アスワン、ルクソール、アブ・シンベル。飛行機であっちこっちを移動したり、バスで延々走ったり、ナイル川をクルーズしたり……。これも駆け足でしたが、本当に良かったです。


 エジプトの歴史の古さは本当に日本などとは比べ物にならず、何千年も前にこれだけの巨大な岩の文化を作ったことには何度も何度も、何度も驚嘆させられました。



 ……と。決して多いとは言えませんが、この2年ほどはあちこち海外を周っておりました。そして自分のそばにはいつもペンタックスK-1とリコーGR、GRⅢがありました。写真もたくさんあるのですが、さすがに選びきれないし載せきれません。


 本当は2020年以降も色々と行こう、行っておこう無理をしてでも。一体何が起きるか分からないから……と考えていたのですが、まさかコロナ禍などというものが起きるとは思わず……。本当にスケジュールに無茶をしてでも海外渡航しておいて良かったと心底胸を撫で下ろす今日この頃です。


 そして今、こう思うのです。あの時、あの国で出会ったあの人たちは元気にしているだろうか……と。ロンドンのレストランで陽気に英語で挨拶をしてくれた黒人のウェイトレスさん。フランクフルトのホテルで「日本から?」と尋ねてくれた受付のお兄さん。ミュンヘンにて、朝食で同席した中国人の方々。大学で学んだ中国語が初めて役に立ちました。ポンペイで「全部キャンセルになっちゃった!」と笑っていたレストランの方。カプリ島で「お客さんが来ない……」と嘆いていた、日本語を学んでいるという学生さん。エジプトのあのたくましい物売りたち……。皆、今頃どうしているのだろう。


 すっかり時代は変わってしまった。こんな時代が訪れるとは思いもしなかった。思っていたのはアパホテルの社長さんぐらいではないでしょうか。


 今こうしてペンタックスが切り取ってくれた思い出の数々を見返していると、何もかもが懐かしい。されど、どれも鮮やかに出来事を思い出すことができます。


 海外はおろか、国内の旅行ですらも危うい日々。すっかりK-1の出番も減ってしまいましたが、またどこか一緒に旅に出たいものですね。K-1 MarkⅡと。

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