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【新・京都風土記】京都バスガイド青春記

 日本有数の観光都市である京都。個人旅行は言うに及ばず、若かりし日に修学旅行で京都を訪れたという方も多いのではないでしょうか。最近でこそ京都や奈良への修学旅行は減りつつありますが、それでも今なお修学旅行の鉄板として、京都はその地位を不動のものとしています。


 観光バスで列を成し、クラスメイトと巡る古都の街。そして、引率してくれるのは美人のバスガイドさん。端整な制服に身を包んだ、若くて綺麗なバスガイドのお姉さんがおもしろおかしく京都の寺社仏閣を案内してくれる……。何をどんな風に教えて貰ったかは覚えておらずとも、バスガイドさんの姿だけは皆の脳裏に、おぼろげにでも焼き付いているかと思います。


 余談ですが、当然のことながらわたくし慧にはそのような思い出はあまりございません。京都や奈良は社会の授業の一環として延々と歩き回らされる場所でしたゆえ……。関西における修学旅行の行き先と言えば、東京や富士山、伊勢や広島、九州などです。小学校の遠足(奈良の明日香)や、高校の修学旅行(九州の福岡・熊本・宮崎)ではバスガイドさんが同乗して下さいましたけれど、地理や歴史の解説役というよりは、長い旅路の中でおもしろおかしいお話をしてくれるタレントさんに近い存在だったような、そうでもなかったような。


 バスガイドと言えば、かつては看護婦やスチュワーデスと並んで、女子の憧れの職業のひとつでした。美麗にして壮麗、颯爽にして瀟洒。どこかアイドル的な存在でもあるバスガイドに、10代の女の子なら「自分もあんな風になりたい!」と心奪われてしまうのも頷ける話です。


 ……ですが、看護師やフライト・アテンダントの世界がそうであるように、バスガイドの世界もまた過酷に過酷を極めるハードな職業であるのです。


 バスガイドのおこりは1920年代初頭、東京の会社が遊覧バスに、観光案内を行うガイドを同乗させるようになったのがはじまりとされています。その職務にあっては高度な知識や教養が求められる為、大学卒業者、それも男性のみに限られていました。戦前であることを考えれば、かなりのエリート的存在であったと言えるしょう。


 続いて1929年(昭和3年)。温泉の名所である大分県別府市、そこで運行される地獄めぐり定期観光バスにおいて、女性バスガイドが登場しました。これが女性バスガイドの発祥となります。華やかな若い女性が個性豊かな温泉地獄と観光名所を笑顔で案内してくれる。このスタイルが大人気となり、以来、東京をはじめとした日本中でバスガイドの女性化が爆発的に進むことになりました。


 京都においては、1929年より京都定期観光バスが誕生します。また、1954年(昭和29年)には若い女性ガイドが同乗して京都を案内してくれる「うぐいすタクシー」が登場、好評を博します。以来、バスガイドないしガイドと言えば女性の職業であるというイメージがほぼ定着することとなりました(近年では、ごくごく稀に男性バスガイドも存在しています。沖縄をはじめ、全国展開の大手バス会社でも男性ガイドの採用例が見られます)


 バスガイドとはその職務上、高度な地理や歴史に精通している必要があるのですが、今も昔も大卒者は極めて稀な存在です。古くは中卒、現代では高卒者がそのほぼ全てを占めています。大卒採用はよくて短大卒。四大卒となると、そもそも採用すら行わないという観光バス会社もかなり多いです。


 毎年3月。バス会社に内定を得た18歳の少女たちは、卒業式を終えるとすぐに親元を旅立ち、バス会社の寮へと移ります。そして新年度すら待たぬ3月の下旬には入社式を終え、「1年生」と呼ばれる新人バスガイドの生活をスタートさせることになります。


 そこから始まるのは……暗記地獄です。厚さ数cmはある分厚い教科書(案内の為の台本)を全て丸暗記させられます。


 ですが、新人バスガイドは大学受験を経験しておらず、もともと勉強もあまり得意でない(好きでもない)者もかなり多く、基礎的な日本史の知識すら極めて危うい者も少なくはありません。目の前に書かれている文字の羅列が何であるのか、どういう意味なのか、そもそも何と読むのかすらもよく分からないまま、ただひたすらに暗記・暗記・暗記・暗記・暗記です。


 指導するのはベテランの先輩バスガイド(と言っても、指導する側も二十歳そこそこだったりします)。暗記の課題ができていなければ、容赦のない叱責が飛んできます。


 先輩ガイドの指導は、案内業務はもちろん、日々の生活にまで及びます。全寮制ですので、帰宅してからも気の休まるヒマなどありません。当然のことながら先輩には絶対服従。悪い意味での吹奏楽部や野球部にはびこる「軍隊」の世界です。(比較的緩めの会社もあるにはある、らしい)


 もちろん暗記だけが訓練の全てではありません。発声練習、挨拶、歌唱、心肺蘇生も含めた緊急時の対応などなど……。その内容は多岐に渡ります。


 おまけに初めての一人暮らしです。慣れない全寮制生活(かつては相部屋が多かった。今はアパートを借り上げての完全個室を採用する会社も多い)と、仕事へのプレッシャーからホームシックにかかり、精神を病む者も決して少なくはありません。なお、京都や奈良においては、京都府外・奈良県外から入社する少女が多い印象です。地元民はほぼいないと言うのは、京舞妓の世界に通じるものがあります(あまりに過酷すぎて地元民は誰も娘を舞妓にならせたがらなくなり、地方出身者ばかりになってしまった)。


 4月にも入れば、実際にバスに乗務しての研修と訓練が始まります。新人バスガイド全員で観光バスに乗り込み、実際に京都の街を走りながら案内の練習です。京都であれば、現在走行している通りの名をきちんと把握しつつ、近隣にある名所旧跡の数々を案内します。暗記できていなければ、鬼の先輩からもちろんお叱りです。


 高校を卒業したての18歳で運転免許も持っておらず、そもそも地元民ですらない……。そんな彼女たちにとって、京都の地理や道路事情などチンプンカンプン。通りの名はおろか、今バスの走っている位置すらもあやふやです。そして案内の際はバスの通路に立ち、バスの後ろを向いてマイクを握るのですが、案内の対象が進行方向右手にあるにも関わらず「左手をご覧くださいませ」と言ってしまうのは定番の言い間違い。右も左も分からないとはまさにこのことです。


 4月から5月にかけては教習バスの花盛り。「バスガイド研修」の団体ステッカーを掲示した観光バスを京都市内で見かけることができます。もちろん、有名な寺社仏閣に立ち寄って案内や誘導の研修も受けることになるので、春先、初々しい新人バスガイドさんの集団が参道や境内を歩いていく光景は京都の風物詩と言えるでしょう。


 京都のバスガイドだからと言って、覚えるのは京都の案内だけではありません。修学旅行では当然のことながら奈良もセットでついてきますし、修学旅行生をお出迎えするのは京都駅だけではありません。新大阪駅、伊丹空港、関西国際空港、そして滋賀の旅館が案内のスタート地点になることもしばしば。つまりは奈良・大阪・滋賀も案内できるようにならねばなりません。


 高速道路のインターチェンジやジャンクション、サービスエリア。はたまたあちこちのトイレの場所を把握しておくのもとても重要です。京都のバスガイドさんならば第二京阪(旧・阪神高速8号京都線)、京奈和自動車道、京滋バイパス、名神高速、中国道、阪神高速1号環状線、4号湾岸線、12号守口線、13号東大阪線、14号松原線、16号大阪港線、近畿道、阪和道、西名阪道、第二阪奈道……さらに各高速道路沿いの観光スポットまで。職業ドライバーが裸足で逃げ出してしまうぐらいの知識が求められます。ちなみに、第二京阪の京田辺パーキングで停車している修学旅行の観光バスを見かけたら、十中八九、学生の誰かが気分が悪くなったか催したかどちらかでしょう。


 毎年、1月から5月の大型連休までは観光バス会社の閑散期です。大型連休は個人客ばかりが多い為、団体客を扱うバス会社は基本的にヒマになります。春の修学旅行シーズンまでに、最低でも京都だけは案内をこなせるようにならねばなりません。奈良まで覚えるのは秋ですね(奈良や大阪の会社だと、京都が後回しになったりするのかもしれませんが……)。


 その為に必要なのは、一に暗記、二に暗記、三、四も暗記です。案内すべき内容が頭に入っていないのならば、バスの車内で大勢のお客様を前にして立ちつくしてしまう他はありませんから……。なので彼女たちは必死で教科書を覚えます。講義の合間、それはバスの車庫の片隅であり、それは会社の廊下であり、はたまた留め置かれるバスの車内であり……。思い思いの場所に陣取り、ひとり死ぬ気でアナウンスの台本を覚えます。その教科書がどのようなものなのかは、京都の最大手観光バス会社であるヤサカ観光バスによって政策された「右手をご覧くださいませ(淡交社)」という本を見ると、何となく分かるかと思います。


 そして迎えたゴールデンウィーク明け。いよいよ春の修学旅行シーズンの到来です。京都駅で修学旅行生たちを商工会の方々が歓迎する様子は、毎年テレビのニュースになります。5月、6月は中学校の修学旅行の最盛期。真新しい制服に身を包んだ新人バスガイド1年生たちが「1号車」「2号車」「3号車」等々と書かれた号車旗を手に、京都駅で修学旅行生を笑顔でお出迎え。ついに新人バスガイドのデビュー戦です。


 とは言え、ソロでいきなりバスガイドをするという訳でもありません。大抵は2年生以上の先輩バスガイドと一緒にバスに乗務して、慣れてきたら1人で案内という形になります。


 そしてこの時期、バスガイド(と言うよりも観光バス全体)の業務は過酷を極めます。次から次へとやってくる修学旅行生たち。一日に二度、別の団体を乗せるというケースも珍しくありません。その度にバスを掃除したり、団体ステッカーを変更したりで大忙しとなります。まさに、かき入れ時です。


 さらにバス会社の悪習として「サービス早出、サービス残業は当たり前」というものがあります。ドライバーはもちろんバスガイドにおいても「出勤時間の一時間や二時間前に出社するのは当然のことである」などという、労働基準法もコンプライアンスもへったくれもないような習慣が完全に根付いてしまっています。(バスは運転士の世界も軍隊的です。と言うよりも昭和の野球部のノリです)


 朝の4時や5時に起床して、6時や7時には出社。その日の打ち合わせを行い、8時前には車庫を続々と出発。あちらこちらを走り回って車庫に戻り、バスを清掃。帰寮すれば21時や22時……。くたくたになって寮に戻ったかと思えば怖い先輩が仁王のように待ち構えていて、「案内が間違っていた!」「誘導ができていなかった!」などなど厳しい厳しいお説教タイム。そしてゆっくり眠る間も無く、また次の朝を迎える……


 こういった生活が8月のお盆前まで続きます。それでも京都のバスガイドだと、京都の中だけで仕事を終えられることも多いので勤務時間はまだ短くて済むのですが、それはそれで乗務時間が短くなって稼ぎが減ってしまうということにも繋がってきます。最近の京都奈良大阪はかなり高速道路が整備されたので余計に。ドライバーもしかり。


 それでも死ぬ気で覚えた内容を引き出しつつ、必死でガイド業務をこなしても、中学生や高校生が小難しい地理や歴史や寺社仏閣の話など聞いてくれるはずもなく……。それどころかマセた学生が質問してくることと言えば「ガイドさん、彼氏いるの?」。……「学生さんが話を聞いてくれない」と泣き出してしまう1年生が出てくるのも定番の出来事です。


 変形労働制と言えば聞こえは良いですが、10連勤オーバーなども普通に発生する世界です。極めて激務であります。しかし薄給です。観光バスの世界は、ドライバーもバスガイドも「残業してなんぼ」の世界であり、残業なしなら手取りの給料は12万〜13万に過ぎません。鬼のように残業をこなしても、なかなか20万を超えることはありません(サービスの分を含めれば別)。バスガイドなら、寮の光熱費もそこから自動的に引かれるので、手元に残るのはごくわずかです。


 観光業界は基本的にどこもブラックです。それもドのつくブラックです。……結果、退職者が続出。バスガイドの世界では、新人から1年生、2年生、3年生……と上がってゆき、5年生でようやく一人前。ですが5年生まで残る者は2割もいないでしょう。


 少女たちがバスガイドを志す理由としては、やはり「学生時代の修学旅行でお世話になったバスガイドさんに憧れたから」というものが少なくありません。ですが、観光業界の現実に打ちのめされて去って行く者の方が圧倒的に多いのです。


 ほっそりおっとりとした女の子よりは、妙に(?)気の強い骨太な女の子だけが辛うじて生き残っていきます。ストレスも大きい世界なので、かつてはバスガイドにおける喫煙者の率もかなり高かったそうです。宿泊の仕事でビジネスホテルを手配された際、エージェントが気を利かせたつもりで男性ドライバーさんには喫煙ルーム、女性ガイドさんには禁煙ルームがあてがったものの、実際には逆だったなんて話も……


 よって、バスガイドの世界は万年人手不足です。稼ぎ時である修学旅行シーズンに、自社だけでは頭数を揃えられないこともよくあります。そこで登場するのがバスガイド紹介所。京都や奈良には、結婚や出産で一度はバスガイドから身を引いたけれど、子育てが落ち着いたので、空いた時間だけバスガイドとしてまた働こう……という方に向けたバスガイドの派遣会社が存在しています。京都なら山科、奈良だと薬師寺近辺にもありますね。最近は40〜50歳の中高年バスガイドの方も多く見かけますが、そういった所から臨時に派遣されてきているパートタイム・バスガイドの方も多いのです。


 さて、お盆を迎えるとバス業界はようやく閑散期に入ります。京都は、もちろんその時期も個人観光客で溢れ返りますが、宿泊費が高騰するシーズンであり、団体客はぱったりと来なくなるからです。観光バスの仕事も、バスガイドが添乗することのない外国人ツアーや、学生の合宿の送迎などが中心となる時期です。


 ですが、新人バスガイドに心休まる暇はありません。本格的な独り立ちに向けて、さらなる暗記地獄が待っています。京都の次は、奈良、滋賀、大阪……と教習バスはより広範囲へと版図を広げます。お盆明けから始まる秋の修学旅行シーズン(こちらは高校生が多い)に向けて、教習・教習・教習です。この頃には、仲間の何人かが脱落していなくなっているでしょう。


 12月の上旬頃には、ようやく秋の修学旅行シーズンが終了。それまでの秋は行楽シーズンでもある為、ドライバーにとってもバスガイドにとっても、もっともハードな季節です。しかしそれを過ぎると今度は一転して、バス会社は仕事がなくなってしまいます。1月2月ともなれば、月の半分はお休みを取らされるなんていうことも。もちろん、稼ぎはありません。


 そうこうしている内に3月となり、新人バスガイドたちは2年生となり。新たな1年生たちを迎えることになります。


 経験を積み、年次が上がれば修学旅行の業務だけでなく、旅行会社主催による団体ツアーバスのガイド業務に就くことにもなります。そちらは京都や奈良はもちろんですが、伊勢や和歌山、金沢などなど。北陸や東海、四国のあたりまでガイドをこなす必要も出てきます。そこまで到達すれば、間違いなくベテランのバスガイドでしょう。


 でも、それはそれで昭和のノリの抜けないドライバーのオジサンたちや、旅行会社のイケズな添乗員にイビられたりもする……。ちなみにバスドライバーの世界も上下関係が(悪い意味で)厳しい世界であり、陰湿な世界と言われています。トラックは乱暴、バスは陰湿といった風に。基本的に現場作業系の世界なので、労働組合の力も強く……。社内政治や派閥争い、どろどろした人間関係にも事欠かず、当然のことながらバスガイドさんもその渦中にあることを余儀なくされたり、先輩ガイドに気に入られなければ仕事をつけて貰えないとか、まあ……


 また、添乗員の世界もバスガイドと同じで極めてハードであり、離職率9割とも言われます。海外ツアーの添乗員さんに話を伺ったこともありますが、新人時代はスパルタ教育で、ろくな研修もないまま、いきなり海外を何ヵ国も派遣されてはガイドをさせられて本当に大変だったそうです。


 長くとも2〜3年で去ってゆく者がほとんどのバスガイドの世界。円満に退職してゆく女の子もいるにはいるでしょうが、心身ともにぼろぼろになって辞めてゆくケースが大半を占めるのが現実でしょう。京都で過ごしたその日々が……血と汗と涙に塗れたその青春の1ページが、せめて一瞬でも輝けるものであったことを願ってやみません。



 2020年はコロナ禍によって、観光業界は極めて大きな打撃を受けました。団体ツアーはもちろん、春の修学旅行もほとんどがキャンセルであったと聞いています。知人のバスガイドさんが務める京都のバス会社も、長らく休業状態となってしまったそうです。もちろん、ドライバーやバスガイドも若手を中心に退職者が続出だったようです。


 今年の7月頃、人気のすっかり絶えた伏見稲荷を訪れた際、参道を小走りに駆けてゆくバスガイドさんを見かけました。グレイハウンド犬のマークで有名な、超大手バス会社のガイドさんです。


 真新しいグレーの制服とカンカン帽、襟元のスカーフ。慣れぬ雰囲気とあどけない顔立ち、余裕のあまりなさそうな立ち振る舞い。まだ1年生なのでしょう。長い長い外出自粛期間を経て、少しずつですが修学旅行も戻り始めていた頃です。きっと遅くなったデビュー戦の真っ最中なのでしょう。心の中で、そっとエールを贈りました。


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既に高校を卒業された方々にあっては、なかなかバスガイドさんの案内つきで京都を観光する……という機会もないかと思います。そんな中、京都ではバスガイドさんの案内つきの定期観光バスが運行されています。京都駅の北口発着で、地元の京阪バスや明星観光バス(スカイバス京都)が運行を行っています。価格も2000円〜とリーズナブルなので、是非どうぞ。


~きょうの一冊~


バスガイドの世界についてもっと知りたい方へ、以下の書籍をご紹介しておきます。


◼️「ご指名!古都のバスガイド」/木島亜里沙 (メディアファクトリー)

奈良最大のバス会社である奈良交通。そこの名物バスガイドである木島亜里沙さんによる自伝です。

バスガイドの世界の実際と実態がよく分かる一冊です。


木島さんは、それらしき方を清水寺でお見かけしたことがあるような、ないような……


◼️「右手をご覧くださいませ バスガイドとめぐる京の旅」/ヤサカ観光バス (淡交社)

京都最大のバス会社のひとつであるヤサカ観光バス。そこで実際に使用されているバスガイドの教科書を元に、京都案内の書籍として仕立てた一冊です。京都における実際のバスガイドの案内やアナウンスを文字で読むことができます。


ちなみにヤサカグループと言えば、クローバーのマークで有名なタクシー会社もそうですね。京都や滋賀ではネッツトヨタも経営しています。二年坂にある和風スターバックスもヤサカグループの傘下です。


そして淡交社は堀川紫明にある出版社で、茶道の裏千家と深い繋がりがあり、茶道関連の書籍を多く出版している会社です。

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