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【新・京都風土記】もう一度、京都

更新日:2020年9月6日

京都が嫌いだ。

京都が大嫌いだ。憎んでいるとさえ言っていい。

憎悪と怨念。京都に抱く感情はこの二つだ。


小さい頃からこの街が嫌いだった。

人も街も、空気も気候も、風習も習慣も、全てが嫌いだ。


誰かが言う。京都は雅だ、風流だと。歴史と風情に満ちた趣きある古都だと。


失笑でしかない。陰湿でいて陰険でいて、怜悧狡猾にして厚顔無恥。

誠実な者ほど食い物にされ、誠意は容赦なく踏みにじられる。

虚構と幻想の街。それが京都だ。

それでいて体裁と世間体ばかりを気にしては、惜しげもなく金銭を注ぎ込む。

「いけず」などという言葉と文化で誤魔化されてはならない。


お金のなかった十代の頃、既に一端のアンチ京都であった自分は京都の書店に入り浸っては文献を読み漁り、京都の粗探しばかりをしていた。


結果、世間一般の者よりは少しばかりは京都をよく知る人間になってしまったのは皮肉としか言いようがない。


この街に良い思い出はない。もちろん楽しかった出来事もゼロではないが、そのほとんどはろくでもない記憶だ。


今もなお思い出しただけで脳髄が沸騰し、臓腑(はらわた)の煮え繰り返るような経験もあった。ひとつやふたつではない。


停滞と閉塞。苛立と鬱屈。血を吐くような思い。削られる身心。

とかくこの街は生きにくい。とかくこの街の人々はつきあいづらい。


心に鬼を押し殺し、胸の般若を留めて生きてきた。

震える拳を握り締め、掌に爪を食い込ませる毎日。

まぎれもなく京都は地獄であった。少なくとも自分にとっては。


そんな日常を前にして、京都への心は醒めていった。古今東西、京都を讃える無数の文言と三文の記事を冷ややかな目で見るようになっていった。


どうしようもなく咆哮したくなる。遂には激昂したこともある。


……東山、将軍塚に登っては京都の街を見下ろして、何度も何度も想った。

「この街に自分の何があるのか。誰があるのかーー」と。


だが、否めない事実もある。良きにせよ悪しきにせよ、今の自分を形成したのは京都であるという現実。長も短も、その総ては京都があるが故に形造られたものであるという覆しようのない真実。


それだけではない。知れば知るほど、生きれば生きるほど京都に魅せられる。そして、どうしようもなく京都に惹かれている自分がいることも。


認めねばならない、自分は京都に焦がれているのだと。そしてそれは愛と呼ぶべきものではないのかーーと。認めたくはないが。


きっと自分が東京あたりに生まれていたら、京都に溺れていただろう。京都に惚れ込んでいただろう。無垢にその全てを奉賛していただろう。礼讃していただろう。だが、そうはならなかった。そうはなれなかったのだ。


残念ながら、京都の都合の良い部分だけをーー見栄えの素晴らしい表層だけをつまみ喰いして生きることは許されなかった。面白可笑しく愉悦に浸ることは叶わなかった。


山城の地に育ったがゆえの宿命、業。それを抱えてきょうを一日生きてゆく。


ならば併せ呑まねばならない、この街の清濁を。それは自分が自分である為に。自分が自分を知る為に。自分が自分を見失わない為に。自分が自分の成せることを索す為に。自分が自分をさらなる高みへ導く為に。そして未来へと進む為に。


あまりにも歪、どこまでも畸形。だからこそ、愛おしい。


もう一度、京都(このまち)と向き合ってみようと思う。

今、再びの京都へ。

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